‘調査を語る’ カテゴリーのアーカイブ

調査を語る(8) あとがきに代えて

2014年3月24日 月曜日

連載「NPOサーベイ、調査を語る」も今回が最終回になります。最初の2回はビデオ映像「東京大空襲調査のフィールドから」(前編後編)を、第3回から第7回までは座談会の様子をお伝えしてきました。いかがだったでしょうか。これまでご講読くださった方々には御礼を申し上げます。最後にまとめとして、映像制作や座談会に関わったサーベイのスタッフより「あとがき」に代えて、これまでの連載を振り返りたいと思います。

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現地撮影・映像編集のあとがき
岩舘 豊

撮影当日は、薄曇りの肌寒い天気でした。集合場所には時間通りに着き、身体のコンディションも悪くない、機材もしっかり揃っている。準備万端なはずなのに、撮影に臨む前としてはどこか心許ない、というのが正直な心境でした。撮影の焦点をどこに据えるのか、そのことが自分のなかでしっかりと定まらないまま、当日をむかえてしまったからです。

ああでもない、こうでもないと考えあぐねているうちに、撮影が始まり(始まってしまい!)、出たとこ勝負で、少しずつ焦点を模索しながらカメラをまわし始めました。しかし、木村さんに様々な場所を案内していただき、話を聴いているうちに、それが何だかはまだよく分からないが「何か」が撮れているような感覚がありました。撮影が終わって帰宅した後にも、現地で感じた「何か」がしっかりと身体に残っていました。少し余談ですが、僕は、自分がインタビューする時やどこかにフィールドワークに行く時に、そこで見て聞いて歩くなかで自分の身体にインプットされる「何か」があるかどうかが大事だと思っています。

とはいえ、その「何か」を探りあてるのには少し時間がかかったのですが、映像を見直すなかで、木村さんが発していた「傷あと」という言葉が一つの手がかりになりました。両国公園、言問橋の欄干、いくつもの碑といった、具体的な場所やモノをまなざし、触れ、事実を掘り起こす。そして、見ることのできる痕跡を手がかりに、現在はほとんど目には見えない「傷あと」を見ようとしている調査の一端が、この映像には写っているのではないか。そうした考えに行き着き、「傷あと」を軸に編集を行いました。

また、後篇2分50秒から始まるインタビュー映像では、調査を始めたきっかけ、調査の「問い」、方法とその難しさ、調査を続ける動機について、調査者である木村豊さんが自ら語ってくれています。その語りは、社会調査の営みの実際を示してくれています。そして何よりも、そのしずかな語り口と表情が、フィールドでご遺族の話にじっと静かに耳を澄ませている調査者の姿を、ある意味では語りよりも雄弁に示していると思い、「はなしをしずかにきく」がもう一つの軸となりました。

「サーベイ、調査を語る――東京大空襲調査のフィールドから」は、前篇10分4秒、後篇8分56秒の映像です。映像には、撮影し編集する側の意図や視点が否応なく込められています。他方で、映像をつくった側の意図しないものやその時には見えていなかったものまでも記録し映し出すことがあるのも事実です。この映像には何が映っているのか。映像を見てくれた皆さんからご意見・ご教示を切にお待ちしています。そして、この映像が社会調査という営みを考えるための対話を促進する一助となれば幸いです。

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感想
上村勇夫

木村さんの研究フィールドを体感させていただきながら、私が感じた木村さんの調査方法における魅力的な点を記したいと思います。

結論から述べると、「現場に居合わせる」ことを徹底して重視している姿勢に魅力を感じました。私がそのように感じた理由としては、その研究スタイルの中に、木村さんの真実に迫ろうとする執念が垣間見られ、その迫力に圧倒されたからです。単なる論文執筆のための調査ではない。時には端から見ると一見「無駄」と思えるような突撃インタビューを敢行されているとのこと(例:戦災地蔵に毎日花を供えている人を待ち伏せて、聞き取りをする。)。しかもそのような活動の積み重ねが木村さんの自信と研究基盤を作り上げることにつながっている。真実に迫る足がかりとして、「現場に居合わせる」活動が重要な役割を担っていると感じました。

今回の企画のおかげで、若干論文作成に意識が行き過ぎている自分を顧みることが出来ました。私も木村さんのような勇気を持ち、今後自分の研究を深められるような活動に邁進していきたいと実感できました。木村さん、ありがとうございました。

調査を語る(7) 一見無駄な調査を積み重ねる

2014年3月20日 木曜日

連載「NPOサーベイ、調査を語る」も第6回目になりました。木村豊の東京大空襲調査をめぐっての座談会の模様をお伝えしています。前回は〈そこに居合わせる〉というフィールド調査のひとつの原点のようなものについて話し合いました。それを受けて、今回は一応のまとめへと話は進んでいきます。

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一見無駄な調査を積み重ねる

(松尾)木村くんがこれまで話を聞かせてもらった人は何人ぐらい? 100人とか、それとももっとたくさん?

(木村)そうですね、ちゃんときいたのは。

(松尾)ちゃんとじゃないのも入れたら、もう数えきれない?

(木村)そうですね。

(松尾)じゃあ今までちゃんと聞いた100人ぐらいのインタビューは、録音をとって、全部整理してある?

(木村)1時間とか2時間かけてインタビューをしたものは、だいたいしてありますね。横網町公園で、ちょっといいですか、みたいに聞いたのは、テープ起こしはしていないものもたくさんありますけど。

(松尾)でも、2時間のインタビューを起こしたら何十ページにもなるでしょう。それが100人分もあったら、すごい分量になると思うんだけど、自分で消化できてる? あまりにも量が多いとテキストマイニングとかも考えてしまうんだけど。

(木村)それに何度もインタビューを繰り返している人もいて、一番多い人でたぶん30回以上インタビューして、録音データが百何時間あります。そういう人から、1回2時間聞いただけっていう人までいて、完全には把握できていないかもしれないんですけど、だいたいのイメージは……。

(松尾)その百何時間の人へのインタビューも、まだ継続中? まだまだ汲めども尽きぬ感じ?

(木村)そうですね、まだ新しいことがありますね。

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「結論は求めない」

(上村)現段階での自分の設定したテーマに対する結論みたいなのは、あるんですか。見えているというか。

(木村)研究全体に対する結論みたいなのは考えたことないですね。

(上村)例えば、博士論文の中では、ある程度の結論みたいなのを切り取って提示する必要は出てくるわけですよね。

(木村)そうですね。いくつかの論文を掛け合わせた中での結論は出しますが、まあ、前提的なものとして。

(松尾)でもそういうふうに、すぐ結論を求めることもなく、一見、無駄に見えるようなことを積み重ねるからこそ、あの人とその人がここですれ違ってたとか、そういう面的なものを描けるんだなってことも、すごく感じますね。現場主義の調査ってよく言うけども、やっぱり、いろんな現場主義のやり方もあって、なかでも木村君のはユニークというか、すごいなって思うところが色々あるなって。

(木村)無駄は多いですね。例えば、モニュメントの悉皆調査をやっていて、墨田区・江東区・江戸川区・台東区って4区の大空襲のモニュメントを全部調べて、関係者に聞き取りとかをやっているんです。全部で75のモニュメントがあるんですけど、その75個にも5,6回ずついっていて。正直社会学の調査なら1回行って碑文だけ読んで、論文にしちゃうだろうなと思ってるんですけど、この町会の関係者は、今どこどこに住んでいてとか、なんか、そういうのをできる範囲で調べていこうと、こう、やっていて。

(松尾)それは無駄だとは自分では思ってないからやってるんでしょう。

(木村)そうですね、でもきっとこれは無駄だと思われてるだろうなっていう感覚はあります。

(松尾)論文を作るってことだけが目的なら無駄かもしれないけれど、やっぱり調査はそれだけではないからね。だから、伝統的なかたちの論文にまとまらない調査の成果を認めるような風土というか、風潮があるといいよね。他人の評価を求めるのが目的じゃないかもしれないけど、調査者の関心に沿ったような評価基準があるといいと思うんだけども。

「戦災地蔵の調査で得た自信と飛躍」

(松尾)では、一見無駄に見える調査に何度も何度も行っているのは、何の役に立つというつもりでやってるんですか?

(木村)無駄の究極なところでいうと、戦災のお地蔵様がたくさんあって、東京大空襲で亡くなった方を供養するために作られたものですけど、行くたびにきれいなお花が飾ってあって、あの、水も添えてあって。町会に聞いても、誰かやってくれてるみたいだけど、だれだろうねっていうのがあって。これは調べてみようと思って、一週間朝から張って、本を持って行って、読みながら待ってたんです。恐らく朝だろうと思って、午前中いっぱいぐらいですけど、で、お花をお供えしている人を見つけ出すことができたんです。で、ちょっと話を聞かせて下さいって言ったんですけど、なんか親が空襲で死んで、特に理由はないけど、その親のためでもあるしっていうことで、インタビューとしては、10分ぐらいで終わっちゃって、それから、インタビューっていうインタビューはできないままなんですけど。10分間だけの資料で、大したインパクトのないものになったんだけど、それをやるためにこの3日、4日ぐらい無駄にしたのかって思ったんですけど、でもやってよかったなって気はして。

(松尾)うん、すごくうれしそうに自信満々に話してるから、本当によかったんだろうなっていうのが伝わってきます。

(木村)それはその、論文にすごい価値あるとか、それで凄い分析ができたとかっていうんじゃないですけど、それをやって、その戦災のお地蔵様を見る上で、自分の、研究の、こう、研究者としての飛躍をするような、自信をもって書けるみたいな……。これについてはもう、自信を持って書けるっていう。それはデータの正当性とか、これだけあれば十分だとか、そういう次元の話じゃなくて、これは書いていいんだっていう風になったっていうことなんです。

(松尾)それは本当にいい話だね。やっぱり、そういう調査者として、研究者としての自分の体験っていうのは大事だよね。何を感じたのかとか、覚悟とか。

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4人の会話はまだまだ続いたのですが、連載記事としてはここで一区切りとしたいと思います。いかがでしたか。座談会というよりも放談のようになりましたが、サーベイのスタッフたちの社会調査観の一面をご披露できたかなと思います。

連載はもう少し続きます。次回もご期待ください。

調査を語る(6) そこに居合わせること

2014年3月17日 月曜日

連載「NPOサーベイ、調査を語る」の第6回です。東京大空襲調査をめぐる座談会が続いています。前回は〈容易に語られ得ない、沈殿していくような社会〉とでも言うべき〈何か〉を、いかにして調査するのかが話題になりました。今回はその続きです。そこに居合わせることの意味とは?

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そこに居合わせること

(岩舘)毎年慰霊堂に行くって話だけれども、後から聞くのと、その場に居合わせて聞くのでは違うっていうのはすごく分かる。あとからこういうことがあったんですよって、事実レベルで同じことを聴いていることなんだけども、その場に自分も居合わせて、時間と場所を共有しながら、ここにいるんだよねっていうのを聞くっていうのは、質的に違う。居合わせるっていう感覚っていうのは、すごく分かります。

(松尾)それは岩舘さんが映像を撮っているから感じられること?

(岩舘)そうですね、そういう意味合いもあります。後から詳細に詳しく事実を聞き取るのに比べれば、そこで取ったフィールドノートっていのは、事実としては不十分かもしれないですけど、その場に居合わせてしまうと、そこで巻き込まれてるわけだから、ぐじゃぐじゃなんだけども、大事なものをつかんでたりするんですよね。それって、居合わせないといけなくて。

(松尾)居合わせることで伝えていくっていうのは、基本的にジャーナリストが本領発揮するところじゃない? あまり区別しなくていいかもしれないけども、あえて区別するなら、ともかく居合わせるっていう考え方と、いわゆる研究をするっていう考え方みたいなものがあって、それがどういうふうな割合で組み合わさっているのか興味があるんだけど。木村君はそういうことについて何か意識したことありますか?

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(木村)やっぱり、けっこうメディアの人と一緒になるので、自分とどういう距離があるのかっていうのは考えるんですけど、最初のころは、すごい敵対していたような感じがありました。メディアの人はちょっと話をしていても、自分の方が詳しんだっていうような雰囲気がすごくあって。何も分かってないのに研究とか言いやがってみたいな感じがして。その頃はなんだって思ってたんですけど、年数重ねると、当然こちらの方が詳しくなって。なんか、がんばってるなっていうか。メディアとは距離をとるっていうよりも、近いものとし見るようになったって感じがします。

(松尾)岩舘さんは?

(岩舘)あんまり分けてるとか、差別化をはかろうとかって、自分の中では思ってないですね。ただ、自分が調査している労働運動の現場でも、結構一時期話題になったのでメディアの人が来るようになったんですけど、やっぱり、基本的に短いですよね。記者としても短い、いる時間も短い。で、あらかじめ撮るもの定めてきてて、撮って帰るっていう。
確かに居合わせているし、いるんだけど、それはその場に行くのが情報を取るのに一番早いから来ているって感じで、その場にいて、そこで撮ってる、産地直送で生で情報送るっていう発想の方が強い。なので、そこに行って何かを、その居合わせたものを大事にするって感じではない気がしたんですよ。そこに行くのが一番情報収集として早いからだって。そこに一番たくさんいい情報があるっていう、そこの点では共通するんだけど、それをもとに、じゃあ,別の見方なり、複数の見方が実はあるんだって、発想はあんまりない気がして。
いいフィールド調査は、むしろそれが崩れていくときじゃないですか。フィールドに入って崩れていくときに、やっぱりいい調査ができてくると思うので、特に大きなジャーナリズムは、短時間で取材を終えて次の現場に行かなくちゃいけない。スケジュールが組まれてるから、それで行って、ストーリー崩れましたって、たぶん言えない、そこは時間考えてる、データ処理の速度が尺が違うんだろうなって。

(松尾)同じところに居合わせていても、見えるものが同じとも限らないしね。そういう意味で、居合わせるっていうのを木村君も大事にしてるんだろうけども、いれば見られる、分かる、感じるっていうのは、必ずしもイコールではないでしょう?

(木村)居合わせたからと言っても、自分が見ているものをすごい知ったようなつもりになっているけれども、自分が見たものは、ごく一部でしかないってことは当然すごくありうることだとは思います。でも私の場合でいうと、恐らく来年も来るだろうという想定があるので、今年は、ここが見れればいいっていう方が強くて、そもそも、一年や二年じゃあ、あの、論文になるとは思ってはいないですし。

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議論はだいぶ佳境にさしかかってきました。次回はとりあえずのまとめになります。(つづく)

調査を語る(5) 沈殿しているものをすくいとる

2014年3月13日 木曜日

連載「NPOサーベイ、調査を語る」の第5回目をお届けします。東京大空襲の調査について木村豊らサーベイのスタッフたちで語り合っています。前回は「現場」で話しをきく、という手法について考えましたが、今回はそれをさらに展開させていきます。なぜ「現場」にこだわるのか? そこには「現場」に沈殿している何ものかをすくいとりたい、という願いがあるのです。

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沈殿しているものをすくいとる

(上村)木村さんのリサーチクエッションっていうのは、どういう内容でどういう風に設定をされてますか。いろいろ変わったりするんでしょうけど。

(木村)調査ごとに違いますよね。何に調査に行くのかによっても違いますし、そのとき考えてることによっても。

(上村)慰霊堂の前で調査をするときは?

(木村)あそこで聞き込みをするときは、本当に、スタンダードな聞き込みで、えっと、どこから来たのか,何歳ぐらいで、亡くなった人との関係は何かで、後は、毎年来ているのかとか、今年来てどう思ったのかとか、すごい単純なことを聞いて。

(上村)それだけですか。

(木村)あそこでは何時間もできないので、10分20分とすると……。

(上村)例えば、今のご心境は、みたいなことは聞いたりしないんですか。

(木村)もともと設定している質問としてはさっき挙げたぐらいですね、何のためにここに来るんですかとか。

「沈殿しているものを感じたい」

(松尾)現場にいるっていうか、調査者がデータ収集に行ってどんな経験をしているかに興味があって聞きたいんだけど、その聞き込みの場で観察したり感じたこととかを、研究にどう生かしているかとか、教えてくれますか?

(木村)私が横網町公園のあの慰霊堂に調査をする一番の目的は、遺族会にも入っていない、自分で体験記も書いていない、家族にも話していない人が、毎年3月10日だけあそこに行って、空襲で亡くなった父親だったり母親だったりに対して、ただお参りをするってこと、戦後何の補償もなく大変な思いをしてきたのを、毎年のお参りだけで、こう、とどめておくっていうことを、なんか、そういうのを積み重ねていくと……。
最近の社会学だとインタビュー調査が流行っていて、語られることとか、すごく表に出るようなことが、社会なんだってされているような感じがするんですけど、でも私は、人の中に、こう、とどまっているっていうか、沈殿していくような社会みたいのがすごく感じて。横網町公園に行って、それが自分の中にも、他の調査とは違うものとして入ってきた、蓄積されてきたっていう感じです。

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(松尾)その沈殿しているものを調査して捉える手法としては、木村君はどういう風な工夫をしてそれをくみ上げようとしてるんでしょう?

(木村)どこまでできるかっていうのは分からないんですけど、慰霊堂に来た人の話なんかは、こんなこと家族にも話したことないんですとか、今日も、ちょっと買い物に行くって言って出てきましたとか、そういう、それぞれの日常の中に、こう、慰霊堂にお参りすることがすべり込ませているような感覚っていうのを、調査の中で抽出しているっていうのが……。

(松尾)そういう沈殿しているものを引き出すっていうのでは、岩舘さんは、映像という全然違うやり方だけど、意識してるんじゃないですか?

(岩舘)言葉にならないことへの着目っていうのでは、そうかもしれないですね。映像のいいところは、やっぱり、しゃべってる人の横で、誰がどういうふうな表情でその人を聞いてるかとかも記録として残るっていうことですね。トランスクリプトに起こしちゃうと残らないんですけど、言葉にしてくれないことでも何かヒントになったりするんです。

(松尾)今日あった出来事でいったら、江戸東京博物館の裏にあった言問橋の欄干を見て、ここの影がとか、そこの傷がとか、そういうものを見ることで沈殿しているものをすごく感じたなって。やっぱり、そうやって何かを引き出せるものっていうのはとても大事。

(松尾)こうして今まで話してきて、沈殿している物を引き出すこととか、現場に居合わせることというのが、キーワードになっているような感じがします。

「現場に居合わせる調査」

(岩舘)居合わせるっていうのはすごい大事なキーワードだなって、でも、木村さんが途中でいってくれたように、居合わせたからと言って、何か、分かった気になっちゃいけない、変な現場中心主義になっちゃうからいけない。だから、居合わせることによって、分かるもの分からないもの、見えるもの見えないものみたいなものの理解は必要だと思いますけど、その場に居合わせることで、体の動きだとか身体とか、その場の音とか匂いとか雰囲気とかも共有したうえで、あるものを聴くっていうのは、大事なんだなって思うんですよ。

(松尾)そこにいればすべてが見えるわけじゃないっていうのは、本当にその通りだと思います。あと、居合わせることの意味はもうひとつあると思うんです。というのは、直感というか、そこにある小さな一部分から全体を想像することができる。もちろんそれは間違っていることもいっぱいあるでしょう。たとえば慰霊碑に行ったとして、偶然その日はいつもと違って掃除されていなかったとか、いろいろなことがあるはずです。でも、何度も何度もそこに行くことで、そこで見て自分で作ったイメージが、崩されたり、作り変えられたり。そういう意図をもって同じことを繰り返していくことも必要だと思います。

(木村)そうですね、最初はもう全然、体験っていうのはばらばらな感じ、それこそ範囲が広いので、ばらばらな感じがしてたんですけど、増えていくと、恐らくこの人とこの人は、3月10日の何時ごろにここで同じところにいたんじゃなかとか、すれ違ってたんじゃないかとかいうのがあって、話してみると、本当にすれ違ってたかもしれないねっていうのが、あったりして。どんどん、違う、全体像とは違うんですけど、見え方が変わってくるんです。

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つづく。

調査を語る(4) 現場で話を聞く

2014年3月10日 月曜日

連載「NPOサーベイ、調査を語る」の第4回目です。前回からサーベイの木村豊が行っている東京大空襲調査について語り合う座談会の様子をお届けしています。今回はその続きです。まず話題になったのは木村のユニークなインタビュー調査の手法です。調査の方法は単なるテクニックの問題にはとどまりません。そのさまざまな意味について掘り下げていきます。

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調査の手法——現場で話しを聞く

(松尾)今日はみんなで一緒に歩きながら木村君の調査のやり方の一端を見せたもらったんだけど、みなさんはどんなことを感じたか聞かせてくださいませんか。

(岩舘)木村さんが慰霊堂のところで、年に2回、その場で話を聞かせてもらっているんだっていうのは、現場に行って聞くと、すごく具体的にイメージができて、ああなるほどって思いましたね。確かにそこに来てるわけだから、話を聞かせて下さいっていうのも、そういう人たちだって、ある種の文脈付けもできてるわけだから。初めて現場を見て、ああそういうやり方があるんだって、いいなって思いました。

(松尾)現場での文脈付けっていうのは同感です。でもやっぱり、突然声をかけるのって、やる方も大変だろうし、やられる方も大変だろうしっていうので、ふつうはやらないものだから、あえてそれをやってるっていうのは、とてもユニークだけども、ユニークなだけじゃなくって、必然性があるんだろうなって思いました。こうしたやり方は自然に出てきたやり方なんですか?

「慰霊堂に集まる人に声をかける」

(木村)そうですね。最初はすごく緊張しますし、まあ実際怒られたり、いろいろと、もう、トラブルもあるんですけど。でも、実際あそこでしか、会とかに所属してなくて、自分で投書とかもしてない人には会えないから。毎年あそこに行くだけのだけの人もいるんで、やっぱり、そういう人たちの声を拾っていきたいっていうか、そういうのをつかまえたいっていうのがあって、やるようになったっていう。

(松尾)そういうやり方をすることについて、まわりの研究コミュニティの人たちの反応はどんな感じでした?

(木村)そうですね、最初は他の人に話しても、そんなことやるんだみたいな感じで、なんかしっくりこない感じだったんですけど。他に遺族会を通した聞き取りもやっていて、遺族会には1000人近く会員がいるので、そっちをやるるほうがずっと簡単なわけですし。でも実際に、聞き取ったデータを出していくと、やっぱり面白いんだねっていう反応が返ってくるようになってきたなっていうのはありますね。

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(上村)文脈っていうのは必要ですよね。私の社会福祉研究なんかの場合は、例えば職員としてかかわっていたりとか、サービス提供者としての悩みっていうのを持っていて、それで日常が進んでいくというか、その、障害者の人とのかかわりの中で、どうしていったらいいのかとか、とても日常的なことだけども、でも空襲なんて言うのは日常的なことじゃないですよね。

「資料の質が変わってくる」

(木村)遺族会のような組織を通じて聞くのよりも現場で聞くのがいいっていうのは、遺族会で紹介受けて、その人の家に行って、毎年3月10日は何をしてますかって聞いて、慰霊堂に行きますっていう話を聞くのと、慰霊堂に行って、そこに来た人に今日どうしてきたんですかって聞くのでは、全く同じ語りにはなるんだけど、全然こう、資料の質が変わるっていうのがあって。

(上村)社会福祉の調査でいえば、企業で働いている障害者をターゲットにしたときに、企業の場で話を聞くのと、家に帰ってから聞くのとでは、ちょっと違うかな、何か違うものが出てくるのかな。でも、企業の中に入りこんでいくっていうのは難しかったりするんですけど。
慰霊堂に集まる人たちにうまく入り込んでいくっていうのは、勇気もいるでしょうし、すごいいいアイデアなんだろうなって思うんですけど、ちょっと気になるのは、研究倫理とかはどうなのかなって。

(木村)その、調査の正当性みたいのが、倫理を含めてすごい議論されてきているように感じるんですが、でも、どうなんですかね。私の場合は、後付けができればいいんじゃないかなって思いますね。調べることよりも公開することの方に倫理問題が強くあるのであって、調べる段階からガードを固めちゃうと、かなり調査自体が自粛しちゃう感じがして、だから私は調べることについては、基本的にガードをかけないで、できることはできるだけやるっていうようにして。

(岩舘)さっきのデータの質が変ってくるっていうのは、どう変わってくるんですか。

(木村)やっぱり、その、空襲から60何年たって、結構なお齢で、皆さん70代80代なわけですけど、その人たちにとって、毎年あそこに行くって、今年もここに来れたっていうのがすごく、重要なことで。そこに自分も立ち会えたような、なんか、今年もここに来れたんですっていう感覚に、自分もそこに居合わせたっていうのが、なんか調査としてはすごい大きいかなって。

(松尾)で、相手の人達にとっても、毎回木村君がいるっていうのも、その慰霊祭のひとつの風景になっていたらいいよね。

(木村)それはありますね。まあ、当事者団体とかに行けばよく会うとかはあるんですけど。慰霊堂なんかでも、私は3月10日も9月1日も毎年、2006年からずっと来てますし、他の日でも定期的にあそこには来ているので、そうすると、3月10日にあそこら辺をふらふらしていると、声をかけられて、なんか久しぶりだね、みたいに言ってくれる人もいますね。

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(つづく)