連載「NPOサーベイ、調査を語る」も今回が最終回になります。最初の2回はビデオ映像「東京大空襲調査のフィールドから」(前編・後編)を、第3回から第7回までは座談会の様子をお伝えしてきました。いかがだったでしょうか。これまでご講読くださった方々には御礼を申し上げます。最後にまとめとして、映像制作や座談会に関わったサーベイのスタッフより「あとがき」に代えて、これまでの連載を振り返りたいと思います。
***
現地撮影・映像編集のあとがき
岩舘 豊
撮影当日は、薄曇りの肌寒い天気でした。集合場所には時間通りに着き、身体のコンディションも悪くない、機材もしっかり揃っている。準備万端なはずなのに、撮影に臨む前としてはどこか心許ない、というのが正直な心境でした。撮影の焦点をどこに据えるのか、そのことが自分のなかでしっかりと定まらないまま、当日をむかえてしまったからです。
ああでもない、こうでもないと考えあぐねているうちに、撮影が始まり(始まってしまい!)、出たとこ勝負で、少しずつ焦点を模索しながらカメラをまわし始めました。しかし、木村さんに様々な場所を案内していただき、話を聴いているうちに、それが何だかはまだよく分からないが「何か」が撮れているような感覚がありました。撮影が終わって帰宅した後にも、現地で感じた「何か」がしっかりと身体に残っていました。少し余談ですが、僕は、自分がインタビューする時やどこかにフィールドワークに行く時に、そこで見て聞いて歩くなかで自分の身体にインプットされる「何か」があるかどうかが大事だと思っています。
とはいえ、その「何か」を探りあてるのには少し時間がかかったのですが、映像を見直すなかで、木村さんが発していた「傷あと」という言葉が一つの手がかりになりました。両国公園、言問橋の欄干、いくつもの碑といった、具体的な場所やモノをまなざし、触れ、事実を掘り起こす。そして、見ることのできる痕跡を手がかりに、現在はほとんど目には見えない「傷あと」を見ようとしている調査の一端が、この映像には写っているのではないか。そうした考えに行き着き、「傷あと」を軸に編集を行いました。
また、後篇2分50秒から始まるインタビュー映像では、調査を始めたきっかけ、調査の「問い」、方法とその難しさ、調査を続ける動機について、調査者である木村豊さんが自ら語ってくれています。その語りは、社会調査の営みの実際を示してくれています。そして何よりも、そのしずかな語り口と表情が、フィールドでご遺族の話にじっと静かに耳を澄ませている調査者の姿を、ある意味では語りよりも雄弁に示していると思い、「はなしをしずかにきく」がもう一つの軸となりました。
「サーベイ、調査を語る――東京大空襲調査のフィールドから」は、前篇10分4秒、後篇8分56秒の映像です。映像には、撮影し編集する側の意図や視点が否応なく込められています。他方で、映像をつくった側の意図しないものやその時には見えていなかったものまでも記録し映し出すことがあるのも事実です。この映像には何が映っているのか。映像を見てくれた皆さんからご意見・ご教示を切にお待ちしています。そして、この映像が社会調査という営みを考えるための対話を促進する一助となれば幸いです。
感想
上村勇夫
木村さんの研究フィールドを体感させていただきながら、私が感じた木村さんの調査方法における魅力的な点を記したいと思います。
結論から述べると、「現場に居合わせる」ことを徹底して重視している姿勢に魅力を感じました。私がそのように感じた理由としては、その研究スタイルの中に、木村さんの真実に迫ろうとする執念が垣間見られ、その迫力に圧倒されたからです。単なる論文執筆のための調査ではない。時には端から見ると一見「無駄」と思えるような突撃インタビューを敢行されているとのこと(例:戦災地蔵に毎日花を供えている人を待ち伏せて、聞き取りをする。)。しかもそのような活動の積み重ねが木村さんの自信と研究基盤を作り上げることにつながっている。真実に迫る足がかりとして、「現場に居合わせる」活動が重要な役割を担っていると感じました。
今回の企画のおかげで、若干論文作成に意識が行き過ぎている自分を顧みることが出来ました。私も木村さんのような勇気を持ち、今後自分の研究を深められるような活動に邁進していきたいと実感できました。木村さん、ありがとうございました。