2009年11月 のアーカイブ

社会調査の系譜とNPOサーベイ(2)

2009年11月30日 月曜日

(前回よりつづき)

matsuo今回は私が共感する先行者のひとり、ポール・ケロッグについて書きたいと思います。前回紹介したように、20世紀前半のアメリカでジャーナリスト・社会事業家として活躍した人物です。

ケロッグはコロンビア大学を卒業後、雑誌 Charities の編集者となります。この雑誌は「慈善」という誌名からわかるように、社会事業や社会改良をテーマにしたものです。Charities and the Commons と改題され、さらに The Survey と誌名を改めていきました。

Charities_and_the_Commons_14The Survey はケロッグの活動の拠点となりました。編集、執筆、取材を通じて彼は積極的に社会問題にコミットしていきます。その活動はいわゆる「慈善」に止まりませんでした。

ケロッグは観察と報告、つまり「調査」の重要性に着目していました。雑誌のタイトルを The Survey に改めたのもその現れでしょう。彼の雑誌は調査報告の場として活用されるようになります。

調査者としての彼の活動のハイライトは、1907年から08年にかけて行われた「ピッツバーグ調査」であることは間違いありません。この調査は都市調査、産業調査の祖型として、アメリカ社会学史、社会調査史に大きな位置を占めています。

ピッツバーグ調査は広い視野を備えた画期的な総合調査でした。地理、政治経済、鉄鋼労働者、家族の生活、女性労働、移民、地域社会などが主な調査対象となりました。

ケロッグは学者ではありません。アカデミズムと距離がありました。しかしだからこそ、前例のない調査に漕ぎ出すことができたのかもしれません。彼はディレクターとして調査チームを先導していきました。調査につきものの資金の問題も、当時設立まもないラッセル・セイジ財団の後援を受けることで解決していきました。

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彼の編集者としての感覚は、ピッツバーグ調査の端々にあらわれています。報告書は膨大なものですが、写真、絵画、地図、図表が多用されており、親しみやすい雰囲気があります。印刷や製本も質が高く、凛とした美しさに満ちた作品に仕上がっています。手にとるものに何かを訴えかける力がみなぎっています。

ケロッグの調査は「調査のための調査」ではありません。観察と報告を旨とした彼の調査は、単に調べるだけでは完結しません。それを世に伝えることも不可欠な柱となっていました。そのための媒体が The Survey だったのです。

(つづく)

調査表現と〈参与する知〉(1)

2009年11月21日 土曜日

oguraNPOサーベイの4つの事業のひとつである「社会調査に関する研究」に、「『表現』の問題にフォーカスした調査過程論の研究」とあります。

この、調査過程論と交差する〈調査表現論〉ともいうべき問題(それは、社会調査をいかに作品化し、いかに伝えるかという作品提示論だといってもよいでしょう)は、現代社会において非常に重要な社会調査の課題になってきているのではないかと私は考えています。

なぜならば、現代社会において社会調査は、現実を共同構築していく媒介装置としての性格を強くもってきていると思うからです。そう、〈社会調査の再帰性〉というべき側面です。

社会調査とは、社会への自己言及であり、社会の自己反省を惹起するメディアです。社会調査のデータ記述=調査表現が、人びとに広く参照され、解釈され、社会的認識を生み、行為実践に影響をおよぼし、新たな社会的現実をつくりだしていく(そしてそうやって生成された新たな現実が、再び社会調査の対象となっていく)——現代社会における社会調査は、そんな側面を強くもっているのではないでしょうか。

当NPOの紹介文にもあるように、社会調査とは、「調査をするひと」だけでなく、「調査を受けるひと」「調査を知りたいひと(読むひと)」を巻き込んだ、それ自体がすぐれて社会的な営みです。それはすでに社会過程の一部になっているといえるでしょう。そんな社会調査の実践的=社会構成的な側面がますます強まっているのが現代社会なのではないかと思います。

Mcdonaldization他方、そんな現代社会のなかで社会調査の制度化が進んでいくにつれて、社会調査が手続主義・技術主義・市場主義に陥ってしまうという、いわば社会調査の「マクドナルド化」(G・リッツァ)ともいうべき皮肉な状況も出てきているように思います。

私たちは、いまいちど〈人間関係としての社会調査〉という原点に立ち返り、〈人間の相互的・社会的コミュニケーションとしての社会調査〉の新たなスタイル(在り方)をつくりだしていくべきステージに立っているといえないでしょうか。調査過程論と分かちがたく結びついた問題として調査表現論がクローズアップしてくるゆえんです。

以上のような問題認識は、NPOサーベイ設立に対する私なりのこころざし——〈参与する知〉としての社会調査(当サイト「役員紹介」より)——にもかかわっています。

そこで、このブログでは自己紹介を兼ねつつ、とくに私が社会調査の営みにおいて実践してきた〈ライフストーリーの知〉の観点から、上述の課題(調査表現をめぐる問題)について考えてみたいと思います。

(つづく)

NPOサーベイ設立の私なりのこころざし(1)

2009年11月14日 土曜日

oshimaNPOサーベイの設立メンバーの中で、私は異色といえるでしょうから、自己紹介も兼ねNPOサーベイ設立の私なりのこころざしを語ろうと思います。

私は、「気づかない人は気づかない,控えめな大学(本当にその通りなのです)」で社会福祉を学んできました。

が、学部生時代はホームヘルパーのアルバイトに明け暮れ、社会調査を真面目に学んだ記憶がありません(先生方、ごめんなさい)。調査に主体的に関わるようになったのは、大学院入学後です。

大学院入学後は、調査に関して知識も技術も非常に乏しかったので、とにかく調査に首を突っ込んで関わるようにしていました。

その結果、自分が中心となって行わせていただいた社会調査以外にも、様々な分野の社会福祉領域の調査現場を垣間見ることができたと思います。

この大学院生時代の経験で印象に残っていることがあります。インタビューをさせていただいたアイヌの語り部のおばあさんの言葉です。

「自分は文字を書くことができない。自分が死んだら、先祖から受け継いできた言い伝えがここで途絶えてしまう。言い伝えを記録に残して次の世代に伝えたい。だからまだ死ねない」。

アイヌの方々に限らず、様々な分野で似たようなことが起きているように感じます。もちろん福祉の現場でも同様です。

(つづく)

社会調査の系譜とNPOサーベイ(1)

2009年11月7日 土曜日

matsuoNPOを設立しようというアイディアが形になりはじめたのは、今から1年ほど前のことだったでしょうか。春休みや夏休みの時間を活かして慣れない役所通いをし、なんとか法人化にこぎ着けることができました。慌ただしいことや面倒なこともありますが、やはり新しいことに取り組む楽しさは大きいものです。

これから何回かにわたって、NPOサーベイ設立のこころざしのようなものについて書いて行こうと思います。メンバー4人それぞれの思いがあるでしょうが、私のばあい「先行者たちに学ぼう」という発想が根幹になっています。

社会調査史上にはすぐれた調査家が数多くいますが、とくに社会調査の世界がとてもスリリングだった20世紀前半には、独立した立場で自由な調査を繰り広げた調査家たちが目立ちます。彼ら彼女らのような立場で調査活動に関われたらなんと素晴らしいことでしょう。自分の足で立つための拠点とするためにもNPOをつくってみよう。そう考えたのです。

Paul_Kelloggこれから私が特に共感する先行者を何人か紹介して行くつもりですが、まず最初に挙げなければならないのはポール・ケロッグ(Paul U. Kellogg 1879-1958)でしょう。

ケロッグは米国ミシガン州生まれのジャーナリスト・社会事業家です。彼は雑誌『サーベイ』の編集者として、社会調査や社会改良運動に活躍しました。NPOサーベイの名前も、彼の拠点となった組織「サーベイ・アソシエイツ」から借りたものなのです。

(つづく)