前回のブログで、私たちはいまいちど〈人間関係としての社会調査〉という原点に立ち返り、〈人間の相互的・社会的コミュニケーションとしての社会調査〉の新たなスタイル(在り方)をつくりだしていくべきステージに立っているのではないか、そこに調査過程論と分かちがたく結びついた問題として〈調査表現論〉がクローズアップされてくるのではないか、とお話しました。
では、私自身はそれをいかに試みているのか。ささやかな事例ではありますが、拙著『高齢化社会と日本人の生き方——岐路に立つ現代中年のライフストーリー』(慶應義塾大学出版会、2006年)を題材にお話してみたいと思います。
まず、この本の帯の言葉から紹介しましょう。
「〈生き方としての学問〉へ——。
老いの季節を迎えんとする「団塊の世代」前後の現代中年と、30代でゲイでもある研究者が、それぞれに社会と対峙した経験をたずさえ、出会って生成される新たな人間存在の地平。それを両者のライフストーリーの螺旋のなかから渾身の力で描き出す。人間生成とエイジングの社会学。」
あらためてここに掲示するといささか気恥ずかしいのですが、なぜこの帯の言葉を最初に紹介したかといいますと、そこに調査過程論と分かちがたく結びついた調査表現論的な意味が込められているからです。
本書の問いは、社会の高齢化・成熟化(本書ではそれを学術的に〈再帰的近代としての高齢化社会〉と表現しています)を背景に人間の「生(life)」のありようが根本的に問い直されてくるなかで、人間存在と社会とのかかわりあいをどう考え、その存在論的基盤をどこに求めていけばよいのか、という「生き方」や「生きる意味」をめぐる問いでした(これは、英国の社会学者アンソニー・ギデンズがいうような、ハイ・モダニティにおいて中心的な舞台に立ち戻ってくる「道徳的/実存的問題」にかかわる問いだといえましょう)。
そして、この問いの真っ只中にいる現代中年(向老期にある中年後期の人びと)への、足かけ7年にわたる縦断的なライフストーリー・インタビュー調査をおこない、その調査過程のなかで浮かび上がってくる知見の生成過程を〈経験の実践プロセス〉として描出し、作品化したのが本書です。
その作品化にあたっては、つぎのような調査表現の試みをおこないました。すなわち、《調査研究者(著者である私)の経験のなかでの生成》《調査協力者(本書に登場する現代中年)の経験のなかでの生成》《調査研究者と調査協力者の相互作用経験のなかでの生成》という三重の生成のらせん=〈経験の実践プロセス〉を記述しながら、《読者の経験との相互作用のなかでの生成》という四重めの生成のらせんを図る作品構成です。
そこには、《調査協力者の経験のなかでの生成》《調査研究者の経験のなかでの生成》《調査協力者と調査研究者との相互作用経験のなかでの生成》という三重の生成のらせんが、〈再帰的近代としての高齢化社会〉という歴史的社会的状況を背景に生み出され、さらにそこに《読者の経験との相互作用のなかでの生成》が交差していく——そのプロセスそれ自体が社会過程なのであり、学問(調査研究)の社会的実践性のひとつの局面として社会生成の重要な回路ではないか、という思いがこめられています。
それは、まさしく「調査をするひと」「調査を受けるひと」「調査を読むひと」が相互にコミュニケーションし、社会生成に参与していく舞台を作品化するという調査表現の試みでした。
(つづく)