これまで数回にわたって、ドキュメンタリー写真ないしフォト・ジャーナリズムが社会調査と交差するところについて書いてきました。今回はそれを受けて、少し脱線しすぎな気もしますが、写真家ウォーカー・エヴァンズ(Walker Evans 1903-1975)について話してみようと思います。
エヴァンズはドキュメンタリー写真の巨人といってもいいでしょう。とくにアメリカ連邦政府のニューディール政策の一環として行われたFSAプロジェクトの一員として、アメリカ南部の農村や町を撮影した一連の作品はよく知られています。(FSAプロジェクトについては、いつか改めて話題にしたいと思います)
今日は多岐にわたる彼の作品のなかでも、異色作ともいえる一冊を取り上げたいと思います。Many Are Called (1966) と題した写真集です。現在でも美しくリプリントされた版(Yale University Press, 2004)が流通しています。
この写真集は1966年に出版されていますが、撮影されたのは1930年代末から1940年代初頭です。なぜ出版までに時間がかかったのか? いろいろな理由があったようですが、その答えのひとつは収録された写真の「撮られ方」にあるような気がします。
これらの写真は地下鉄の車内で隠し撮られたものなのです。エヴァンズはコンパクトカメラをコートの中に隠し持ち撮影しています。場所はニューヨーク。彼は大都市の地下鉄に乗り合わせる多種多様な人々の無防備な表情を捉えていきました。
彼の試みは極めて質の高い作品として結晶したといえるでしょう。ちょうど同じ頃に大都市の匿名性や都市的生活様式などを論じたシカゴ学派の都市社会学者たちの念頭には、こうした人たちの姿があったのかなあと感じます。
プライバシーの保護はドキュメンタリー写真にも社会調査にも不可欠なのは言うまでもないことです。しかしエヴァンズのこれら写真は、隠し撮りという方法を必要とするものでした。
隠し撮り(あるいは covert research)をすること自体いけないのか、発表することがいけないのか。撮影後に承諾を得ておけばOKだったのか。50年なり100年なりの時が経てば発表していいのか。モザイクは? エトセトラ、エトセトラ。簡単には答えが出ない悩ましい問題です。