2011年1月 のアーカイブ

「調査実習という経験」コメント(8)

2011年1月13日 木曜日

2010年12月4日に開催いたしました「調査実習という経験」にご出席くださった方々からさまざまなコメントを頂戴しました。そのいくつかを紹介しています。第8回目は泉暁さんから寄せられたコメントです。

(調査は研究のためだけのもの?という問題について)

調査は、調査者自身の再認識につながるというのは非常に大切さと思うが、それに「問題意識の発見」という昇華が必要ではないか、とやっぱり思ってしまいます。

(今回のイベントに参加して)

いろいろなことを感じました。まだ言葉になりませんが……。

どうもありがとうございました。当日の模様については当ブログ12月9日付記事の印象記などもご参照ください。

「調査実習という経験」コメント(7)

2011年1月10日 月曜日

2010年12月4日に開催いたしました「調査実習という経験」にご出席くださった方々からさまざまなコメントを頂戴しました。そのいくつかを紹介しています。第7回目は匿名の方から寄せられたコメントです。

(調査は研究のためだけのもの?という問題について)

当初はテーマについてぼんやりとしか分かっていなかったのですが、進めていくうちに、ぼんやりとしていたものが、はっきりと見えてきました。調査は研究のためではないということが今回の会で納得しました。

(今回のイベントに参加して)

いろんなバックグラウンドを持った人々と議論できたことが何よりよかった。集まった人々ともっと話をしたいなという思いがまだ残っています。またこういう機会があればぜひ参加したいと思います。

どうもありがとうございました。当日の模様については当ブログ12月9日付記事の印象記などもご参照ください。

「調査実習という経験」コメント(6)

2011年1月6日 木曜日

2010年12月4日に開催いたしました「調査実習という経験」にご出席くださった方々からさまざまなコメントを頂戴しました。そのいくつかを紹介しています。第6回目は林健太郎さんから寄せられたコメントです。

(調査は研究のためだけのもの?という問題について)

教育的な意義を強く感じた。教師と学生の関係性の変化、教師・学生それぞれの在り方が問われている(すくなくとも私の中では)なかで、これだけ学生の成長できるプログラムとなる調査実習は、新しい教育の在り方にもなるかもしれない、と思った。

ただし、「研究」と「教育」には、合わない側面があるのかもしれない。この実習の場合、調査する側の成長にはもちろんつながるだろうが、これを研究成果として完成させる場合、やはり研究には仮説があり、恣意も必要であり、人間同士のコミュニケーションを純粋に成り立たせるのは難しいと感じなくもない。

(今回のイベントに参加して)

正直うらやましかった。学生が主体的に参加できるプログラム、そして見事に成長を感じとっている学生さん。私もこういう経験をしたかったというのが正直な思いです。

どうもありがとうございました。当日の模様については当ブログ12月9日付記事の印象記などもご参照ください。

「調査実習という経験」コメント(5)

2011年1月3日 月曜日

2010年12月4日に開催いたしました「調査実習という経験」にご出席くださった方々からさまざまなコメントを頂戴しました。そのいくつかを紹介しています。第5回目は柴山由佳里さんから寄せられたコメントです。

(調査は研究のためだけのもの?という問題について)

実習生さんたちの話を聞くと、「他者理解を通しての自己理解」の可能性は少なからずあるのかなあ、と重いました。が、忙しい大学生が面倒くさいことをやる動機としては、「自己理解」よりも、ゼミ形式というのが大きいのではないでしょうか。だから、研究者の調査の結果には、「自己理解」のような見返り(?)は少ないのかなと思います。

(今回のイベントに参加して)

研究やら報告やらというのは、「客観性なしには成立しない」という頭しか私にはなかったので、今回のお話しは新鮮でした。今でも、客観性が重要だという考えに変わりはありませんが、「自分にもインタビュー相手にも背景がある」ことを理解するには、とても楽しそうな授業だと思います。石川先生は何でも受け入れて下さりそうで、ぜひ授業を受けてみたかったです!

どうもありがとうございました。当日の模様については当ブログ12月9日付記事の印象記などもご参照ください。