今回は私が共感する先行者のひとり、ポール・ケロッグについて書きたいと思います。前回紹介したように、20世紀前半のアメリカでジャーナリスト・社会事業家として活躍した人物です。
ケロッグはコロンビア大学を卒業後、雑誌 Charities の編集者となります。この雑誌は「慈善」という誌名からわかるように、社会事業や社会改良をテーマにしたものです。Charities and the Commons と改題され、さらに The Survey と誌名を改めていきました。
The Survey はケロッグの活動の拠点となりました。編集、執筆、取材を通じて彼は積極的に社会問題にコミットしていきます。その活動はいわゆる「慈善」に止まりませんでした。
ケロッグは観察と報告、つまり「調査」の重要性に着目していました。雑誌のタイトルを The Survey に改めたのもその現れでしょう。彼の雑誌は調査報告の場として活用されるようになります。
調査者としての彼の活動のハイライトは、1907年から08年にかけて行われた「ピッツバーグ調査」であることは間違いありません。この調査は都市調査、産業調査の祖型として、アメリカ社会学史、社会調査史に大きな位置を占めています。
ピッツバーグ調査は広い視野を備えた画期的な総合調査でした。地理、政治経済、鉄鋼労働者、家族の生活、女性労働、移民、地域社会などが主な調査対象となりました。
ケロッグは学者ではありません。アカデミズムと距離がありました。しかしだからこそ、前例のない調査に漕ぎ出すことができたのかもしれません。彼はディレクターとして調査チームを先導していきました。調査につきものの資金の問題も、当時設立まもないラッセル・セイジ財団の後援を受けることで解決していきました。
彼の編集者としての感覚は、ピッツバーグ調査の端々にあらわれています。報告書は膨大なものですが、写真、絵画、地図、図表が多用されており、親しみやすい雰囲気があります。印刷や製本も質が高く、凛とした美しさに満ちた作品に仕上がっています。手にとるものに何かを訴えかける力がみなぎっています。
ケロッグの調査は「調査のための調査」ではありません。観察と報告を旨とした彼の調査は、単に調べるだけでは完結しません。それを世に伝えることも不可欠な柱となっていました。そのための媒体が The Survey だったのです。
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