調査表現と〈参与する知〉(1)

oguraNPOサーベイの4つの事業のひとつである「社会調査に関する研究」に、「『表現』の問題にフォーカスした調査過程論の研究」とあります。

この、調査過程論と交差する〈調査表現論〉ともいうべき問題(それは、社会調査をいかに作品化し、いかに伝えるかという作品提示論だといってもよいでしょう)は、現代社会において非常に重要な社会調査の課題になってきているのではないかと私は考えています。

なぜならば、現代社会において社会調査は、現実を共同構築していく媒介装置としての性格を強くもってきていると思うからです。そう、〈社会調査の再帰性〉というべき側面です。

社会調査とは、社会への自己言及であり、社会の自己反省を惹起するメディアです。社会調査のデータ記述=調査表現が、人びとに広く参照され、解釈され、社会的認識を生み、行為実践に影響をおよぼし、新たな社会的現実をつくりだしていく(そしてそうやって生成された新たな現実が、再び社会調査の対象となっていく)——現代社会における社会調査は、そんな側面を強くもっているのではないでしょうか。

当NPOの紹介文にもあるように、社会調査とは、「調査をするひと」だけでなく、「調査を受けるひと」「調査を知りたいひと(読むひと)」を巻き込んだ、それ自体がすぐれて社会的な営みです。それはすでに社会過程の一部になっているといえるでしょう。そんな社会調査の実践的=社会構成的な側面がますます強まっているのが現代社会なのではないかと思います。

Mcdonaldization他方、そんな現代社会のなかで社会調査の制度化が進んでいくにつれて、社会調査が手続主義・技術主義・市場主義に陥ってしまうという、いわば社会調査の「マクドナルド化」(G・リッツァ)ともいうべき皮肉な状況も出てきているように思います。

私たちは、いまいちど〈人間関係としての社会調査〉という原点に立ち返り、〈人間の相互的・社会的コミュニケーションとしての社会調査〉の新たなスタイル(在り方)をつくりだしていくべきステージに立っているといえないでしょうか。調査過程論と分かちがたく結びついた問題として調査表現論がクローズアップしてくるゆえんです。

以上のような問題認識は、NPOサーベイ設立に対する私なりのこころざし——〈参与する知〉としての社会調査(当サイト「役員紹介」より)——にもかかわっています。

そこで、このブログでは自己紹介を兼ねつつ、とくに私が社会調査の営みにおいて実践してきた〈ライフストーリーの知〉の観点から、上述の課題(調査表現をめぐる問題)について考えてみたいと思います。

(つづく)

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