オルタナティブ社会学会参加記

2013年11月1日 by 岩舘 豊

 2013年10月12日から14日にかけて、NPOサーベイも共同企画制作として参加した、オルタナティブ社会学会 Finnegans Wake が港区芝の「三田の家」で開催されました。2日目の13日(土)には、NPOサーベイによるセッション〈学知のなかの表現、表現という参与〉をおこないました。
 午前中のセッションということで来場者が少ないかなと少し心配しましたが、当日は会場内に座りきれないほどの人が足を運んでくださり、熱気にみちたセッションとなりました。

 セッションでは、まず岩舘による提供として、2008年から取り組んでいるビデオカメラを用いたフィールドワークをもとに、若者による労働組合実践について撮影・編集した映像を上映しました。
 彼/かの女たちの日常的実践によって生成されるロウソなるものの揺らぎや複層性を記録・分析・解釈していくにあたって、映像というデータ/手法にはどのような可能性と限界があるのか。そして、映像にかぎった話ではなく、調査者が調査の過程で出会ったものごと、調査者自身の経験といったものを、より十全に表現していく「方法」それ自体をどう開拓していけばいいのか。
 そうした論点を提示し、フリートークへと入り、調査と表現をめぐってお二人から自己紹介を兼ねた論点提供をしていただきました。

 まず、青木深さん(一橋大学)からは、博士論文をもとに出版された『めぐりあうものたちの群像――戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958』で取り組まれた、調査者が見る/聴くことのできない〈音楽〉をどう調査し、学術論文のなかで表現しうるのかという課題をめぐって模索されてきた経験を紹介していただきました。
 さらに、同書のブックデザインを担当した鈴木一誌氏の著書『ページと力――手わざ、そしてデジタル・デザイン』(青土社、2002年)に依りながら、ページをめくるという出来事がもつ「サスペンス」の要素――いま読んでいるページの次(裏)には、なにが現れるかわからない――について興味深い指摘をいただきました。
 最後に、学知の表現手法を探っていくにあたり、表現媒体の物質的な相違を意識することで、新しいアイディアや展開が出てくるかもしれない、といった重要な示唆がありました。
 
 次に、稲津秀樹さん(関西学院大学)からは、アーティストと協力して作成した調査報告書『まちかどの記憶とその記録のために――神戸・長田へ/から』の経験から、長田という場所で行き交う人や経験や記憶をどう表現しうるのか、という問題提起をしていただきました。
 さらに、映像が大量の生産され氾濫するなか、フィールドでは調査者もまた撮影の「対象」となりその映像が流通していくという現実のなかで、学知や参与のあり方をどう考えるかという重要な指摘がありました。
 そして、上映された映像に対して、映像を構成している調査者側のまなざしがどんな特徴をもっているのか。その映像がもつ「リアリティ」とは何なのか。そうした問いかけがありました。

 これらの問いにその場で岩舘は十分に応答できたとは言えません。しかし、岩舘なりの受けとめたことは、次のようなことでした。「調査者」と「被調査者」とが権力関係をはらみつつ、しかし揺らぎをもって否応なく含み込まれた現実のなかでは、統治機構・制度や知識・技術やモノを介して、人びとの利害や感覚やまなざしが無数に交錯・衝突・共起している。そうした社会的世界を岩舘はどう〈フィールドワーク〉してきた/いるのか、その自前のフィールドワーク方法論の提示が求められているのだと思います。
 
 さらに、まだまだ話し足りないということで、主催者である岡原正幸先生のご好意のもと、ガレージの空間をお借りしてセッションの「続き」を行うこととなり、気流舎さんがつくったカレーをいただきながら、地べたで車座になってセッションが続けられました。
 そこでもいくつもの出会いが生じていました。その様子も含めて、オルタナティブ社会学会当日の映像が、こちらのサイト(http://alternativesociology.jimdo.com/)でご覧になれます。
 
 最後に、今回のセッションに参加し、二つのことがとても印象に残っています。
 一つは、調査と表現という主題を真っ正面に据えた〈集会〉の場がもっともっとあっていいし、それは必要でもあるということです。ガレージでのセッションで小倉康嗣さんが述べていたように、社会(科)学にとって表現の問題はますます重要になっていると思います。
 そして、その〈集会〉の場は、表現の「方法論」を議論するというよりも、それぞれの調査者が具体的に試行錯誤し模索した調査表現を突き合わせるなかで、一つ一つ論点を深め、経験を積み重ねていくような作業の場なのだと思います。

 もう一つは、オルタナティブ社会学会の場がまさにそうであったように、そしてNPOサーベイが志しているように、社会や自然や人間について問いをもち、見聞きし、感じ、記録し、分析し、解釈し、表現していく営みへの関心の一点で、職業的研究者だけではなく多様な人びとがゆるやかに集う場がもつ豊かさです。
 こうした一時的・仮設的な場に対する〈ニーズ〉が、そこまで大きく目立ったものではないけれど、しかし確実に存在することを感じました。
 オルタナティブ社会学会と本セッション開催にあたり、お力添えとご参加をいただいたすべての方々に感謝と御礼を申し上げます。また、皆様にお会いできるのを楽しみにしています。

研究会「耳を澄ます調査、すれちがう表現」趣旨

2013年6月25日 by 事務局

今月6月29日に、「耳を澄ます調査、すれちがう表現」というタイトルで研究会を開催いたします。

音楽のような、立ち現れては消えていくものをめぐる経験を、いかに調査し、それをいかに記述・表現することができるのでしょうか。今回の研究会では、戦後日本の米軍基地と音楽についての調査研究をされている青木深さん(一橋大学特任講師)に話題提供をお願いしました。

青木さんは、戦後占領期から朝鮮戦争期に来日した米軍将兵と、当時そうした米軍に慰問を行った日本人楽団に関する調査研究に取り組まれ、その成果をこのほど『めぐりあうものたちの群像—戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958』(大月書店、2013年3月)として上梓されました。

そうした調査研究を進めるにあたって、青木さんは、「音楽経験をいかに書くか」という問いが、その「出発点」となったといいます。そこで青木さんは、音楽を経験した個々人だけでなく、それに関連する物(楽器、衣服、レコード、楽譜)や、建物、地面など、音楽をめぐる様々な〈もの〉に眼差しを向ける調査をされてきました。

青木さんは、そのような調査を通して、当時米軍関係施設において音楽をめぐる様々な〈もの〉が「幾重にも交差—「出会い」あるいは「すれちがい」—していた状況」が「みえてきた」といいます。そこで青木さんは、そうした調査の中の「発見」を記述・表現するための方法として「連鎖的」な記述方法について検討し、実践することになりました。

それは、様々な〈もの〉の「錯綜的な交差に眼をこらし/耳をすまし、行き交う者/物たちの動きにつきしたがいながら、彼/彼女らが生きた時間/瞬間(音楽)の痕跡を辿っていく」という記述方法であり、『めぐりあうものたちの群像』では、そのような方法を用いた記述・表現の試みがなされています。

そこで今回の研究会では、そうした著作ができるまで、その調査の過程、作品化に至るまでの経緯、その中で模索された記述の方法などについての話題提供をもとに、調査と表現をめぐる諸問題について考える機会としたいと考えております。

またNPOサーベイでは、第1回の研究会から「調査と表現」という問題に一つの焦点をあて、様々な議論を重ねてきました(過去の研究会の記録は本ブログにて公開しておりますのでぜひご覧ください)。今回の研究会では、そうしたこれまでの「調査と表現」をめぐる議論とゆるやかに連続性をもちつつ、青木さんの調査と表現の実践から学び、活発な議論ができればと思っております。

6月29日に研究会を開催します

2013年5月20日 by 事務局

来る6月29日(日)に研究会を開催することとなりました。みなさまぜひご参集ください。

【テーマ(仮)】
「調査と表現をめぐって
    —『めぐりあうものたちの群像』の試みから」

【日時・場所】
2013年6月29日(土)14:00〜17:30
立教大学池袋キャンパス7号館7301番教室
http://www.rikkyo.ac.jp/access/ikebukuro/campusmap/

【企画趣旨】
今回の研究会では、戦後日本の米軍基地と音楽についての調査研究をされている青木深さん(一橋大学特任講師)に話題提供をお願いしました。

青木さんは、戦後占領期から朝鮮戦争期に来日した米軍将兵と、当時そうした米軍に慰問を行った日本人楽団に対する膨大なインタビューや、それに関係する文書記録、写真、建物、使用された物に触れる調査に取り組まれ、その成果をこのほど『めぐりあうものたちの群像—戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958』(大月書店、2013年3月)として上梓されました。

「1945年から1958年までの日本「本土」の米軍関係施設、さまざまな人々や物が行き交い交差していくなかで、演奏され聴かれていた〈音楽〉。そこで経験された時間/瞬間にどうすれば接近できるのか。 人々が生きた具体的な時間/瞬間をどう描き出せるのか。」上記の著書のなかで青木さんはそう問いかけ、表現のあり方を模索・実践されています。

そこで今回の研究会では、その約7年にもわたる調査の過程、作品化に至るまでの経緯、その中で模索された記述の方法などについての話題提供をもとに、調査と表現をめぐる諸問題について考える機会としたいと考えております。

NPOサーベイでは、第1回の研究会から「調査と表現」という問題に一つの焦点をあて、様々な議論を重ねてきました(過去の研究会の記録は本ブログ内にて公開しておりますのでぜひご覧ください)。

今回の研究会では、そうしたこれまでの「調査と表現」をめぐる議論とゆるやかに連続性をもちつつ、青木さんの調査と表現の実践から学び、活発な議論ができればと思っております。

本研究会はどなたでも参加できますが、ご出席をお考えの方はあらかじめ事務局( info@survey-npo.jp )までご連絡下さい。

「量的調査研究の意義や疑問」コメント(1)

2013年1月30日 by 事務局

2012年10月28日に開催されました研究会「ネット時代の調査と身体」にご参加くださいました方々からさまざまなコメントをいただきました。そのいくつかを紹介いたします。

三浦さんの発表内容を聞いて、自分が把握していた以上にネット時代の調査をよく考えなければならないことにきづきました。例えば、学生のレポートやリスク回避のことについてもしかりです。ただ我々はこのようなネット時代で育った若者たちが大部分を占める社会に生きなければならず、今後引き続き社会調査の持つ課題について考察していかなければならないと思いました。(石原晋吾さん)

まず、今回このような場に参加させていただいた率直な感想として、様々な分野から参加されている方々が議論されているところから、大変多くのことを学ばせて頂き、また大きな刺激を受けさせて頂いたということを感じました。私はまだまだ専門分野の知識すらおぼつきませんが、閉じずに様々な問題にかかわっていき様々な方と深め合う機会を持っていきたいと思いました。(祖父江隆文さん)

「ネット時代の調査と身体」記録(3)

2013年1月28日 by 事務局

2012年10月28日に開催されました研究会「ネット時代の調査と身体」の中で交わされました議論について、そのいくつかをご紹介いたします。

[ネット時代に変わる大学と研究]
・大学授業が制度化されることと評価されること(シラバス・授業評価)。

・ネット社会の価値秩序と研究における価値秩序の関係は?キャッチフレーズ化する研究。

・ネット上の情報を調査する可能性と倫理問題。データ自体がすでに匿名性をもつこと?データに対する信頼性は? 

[ネット時代の調査]
・大量調査は集計されたデータが重要。個別データの扱い方の問題(個人情報保護法)。

・調査が誰でもできるようになることと調査への信頼度。

・自治体における調査―結論ありきの調査と市民の意見を聞くこと。