「量的調査研究の意義や疑問」コメント(2)

2012年9月30日 by 事務局

2012年7月29日に開催されました研究会「量的調査研究の意義や疑問」にご参加くださいました方々からさまざまなコメントをいただきました。そのいくつかを紹介いたします。

・“虐待”は今回のテーマである介護グループホーム以外でも家庭、閉鎖的環境でおこりうることがらだけに、ある程度、孤立化、私化がすすむ現状では意義ある発表だったと思われます。量的調査の意味、方法について改めて考えさせられました。また松本さんの調査が2011.7.14‐8.30という限定された時期でもありますので、今後更に重視され問題化されることがらと思われますので、大変かとは思いますが、実地で現場を知る研究者としての成果、社会のより良い方向へかわることをと、問題の共有化をしていきたいです。また、今日われわれが直面する(あるいは過去の語れないこと)にペシミスティックにならず、問いを共有して対話していくことが大切と感じました。社会科学と客観性という点もあらためて考える機会となりました。(佐藤和泉さん)

・今回単純に量的調査研究の勉強ができればと思い参加しましたが、思っていた以上のことを得られたと実感しています。松本さんの修士論文の概要とそれに取り組むにあたっての動機、思い、事後的なものも含めてお聞きしていて、自分がこれまで実践してきた質的研究は何であったのか考えさせられました。量的調査研究に関してはほとんど素人、門外漢ですが、差異ばかりを強調するのではなく、共通点から振り返ることで見えてくることがあるなと思いました。本日はありがとうございました。(八木良弘さん)

・今自分がとりくんでいる量的研究について、大変多くの「学び」をいただきました。それは、方法論にしても、分析法にしても研究に必要とされるものに完全なものがなく、実際に取り組んでいる中で学んでいくことであることがわかりました。また多くの人との交流と協働の中で学んでいくことと、質にも量にもみちびかれる結果は多様にあること、そしてそれが社会に研究において小さな一歩に寄与することだということが研究者の話を通して学びました。からにこもっている自分にとってエッセンスでありました。チェンジのきっかけになれたらと願っております。

「量的調査研究の意義や疑問」コメント(1)

2012年9月28日 by 事務局

2012年7月29日に開催されました研究会「量的調査研究の意義や疑問」にご参加くださいました方々からさまざまなコメントをいただきました。そのいくつかを紹介いたします。

・本日は、本当に貴重な機会をいただきまして、ありがとうございます。研究背景や研究手法などについて、これほど考えたことはなかったので、私自身の考えや想いなども整理する良い機会となりました。また皆様からの貴重なご指摘や皆様方の研究への熱い思いやご経験などをうかがうことができ、素晴らしい充実した時間となりました。ありがとうございました。(松本望さん)

・残念ながら時間的にディスカッションで取り上がらなかったことですが、自分にとって最も大きなインパクトを与えたのは、量的研究でも仮説が途中で変わったという点でした。これはあくまでの教養程度の知識しかないですけれども、基本的には、グラウンテッドセオリーアプローチの特色で、自分のなかで一番すごいところだと思っていました。GTAに詳しい方よりこのことについてお話をしていただく機会があればと感じました。(ヴィラーグ・ヴィクトルさん)

・同じ分野の研究をされていた方なので、本当に勉強になりました。調査や分析は大学院ではじめて本格的に始める方が多いと思いますので、量の場合本格的な統計の学者さんの本ではなく、統計を使用している人の本がたくさんでてほしいなと思いました。今日は本当にありがとうございました。(廣瀬圭子さん)

「量的調査研究の意義や疑問」記録(3)

2012年9月26日 by 事務局

2012年7月29日に開催されました研究会「量的調査研究の意義や疑問」の中で交わされました議論について、そのいくつかをご紹介いたします。

[量的と質的]
・最近、質的調査をやる人が多くなった。量的調査のイメージが良くない?質的調査をやっている人は、今回のような量的調査の試行錯誤をどのように感じるのか?

・量的調査と質的調査と変わらない部分がある。今回の報告で量的調査も解釈があることを知れた。量的・質的という区分け自体にも問題がある。同じ評価基準では推し量れないところがあるのでは?

・質的研究は、限られた人間関係でやっているという側面があるので、それを一般化できるのか?出来るだけ客観的に。量的調査のサンプル性は重要。

・自分は量的も質的も両方やる。量的研究は、知らないことに出会う不安がある。質的研究は、知らなかったことに出会う面白さがある。

・質的調査の方が恣意が入るというイメージがあるが、量的調査にも恣意は入る。

・仮説を覆されることのインパクトは社会学と福祉学のあいだで異なる。量的研究の方が仮説を覆されやすい?

・量的調査が行えないような対象もある。何が知りたいかで量的と質的を選ぶことはできる。

・サンプリングの方法について考えることも重要。また、欠損値や無回答を分析するという方法もある。

エッセイ「ノマド:逃し続ける運動」

2012年9月24日 by 後藤 隆

2012年12月1日に立命館大学にて開催される研究会議「ケイパビリティ・アプローチの臨床的展開に向けて」で、NPOサーベイ副代表の後藤が「ノマド:逃し続ける運動」と題した報告を行います。この研究会議は次のような問題を提起しているものです。

これまで理論がいささかなりとも現場に役立ったためしがあるのだろうか。医療、看護、相談、援助など、急を要する支援の現場で、悠長に構えた社会科学者の言説に何がしかの意味があるとしたら、それはいったいどんな? 個人の生の多次元性と自由(freedom)を基盤に据えるアマルティア・センの理論——20世紀社会科学の一到達点ではある——を臨床現場から批判的に検討しませんか?

後藤の報告原稿を掲載いたします。「現今の対人援助活動者の「生きられた真理」とはなにか」について考える論考です。ぜひご一読ください。

 * * * * *

「ノマド:逃し続ける運動」
後藤 隆

ミシェル・フーコーは、「狂気、死、犯罪あるいは性」に係る「さまざまの政治テクノロジー」について、各々よく知られている大部の著作を物した後に、「個別化する権力」、すなわち「個人を対象としながらもしかもその個人を継続的、恒常的に支配するための政治技術」に研究の焦点を移し、そうした「政治的技術」を「権力の」「牧人的様態」(以下牧人的権力と記す)と呼んだ。

牧人的権力とは、その名の通り、羊飼いが家畜の群れに対してどのようにふるまうかに喩えられ、わけても「寝ずの番」のように、「群れの安全を確保するため」の見張りに徹する姿、つまり「慈愛」や「献身」に「近い」形をとることが特徴とされる。

また、フーコーは、牧人的権力の歴史的事例として、オランダのテュルケ・ドゥ・マイエンヌのポリス構想を挙げている。その構想には次のような「生活の否定的な側面に携わる」「機関」が含まれている。

「具体的には、援助を必要とする貧困者(未亡人、孤児、老人)、それから金銭的援助(利子は求めないことになっていた)を必要とする活動に携わっている人々の面倒もみます。それだけではありません。病気、伝染病などの公衆衛生や、火災、洪水などの事故の面倒をみることにもなっていました」

これらテュルケの「貧困」「公衆衛生」「火災」「洪水」をふまえ、テュルケを通じてフーコーが挙例したかったものを、今日の用語で言い換えるなら、それは危機であり、カタストロフィであり、そして「明白な不正義(patent injustice)」であるとして差し支えなかろう。さらに、「生活の否定的な側面に携わる」「機関」とは、今日で言えば、社会保障・福祉制度とその関連組織であり、また「金銭的援助を必要とする活動に携わっている人々」とは、幅広く、医療、保健、看護、福祉等の対人援助活動者であるとみてよいだろう。

つまり、フーコーは、羊飼いにとっての家畜に喩えたヒトに降りかかる大きな危機、災い、不正義をまず想定したうえで、ヒトの「安全」「確保」に「献身」する羊飼いすなわち、テュルケ以来今日で言えば、対人援助活動者が、社会保障・福祉制度の名の下に牧人的権力を振るう者でもある、と指摘しているのである。

 ※続きは《こちらのPDFファイル》でお読みください。

 * * * * *

「量的調査研究の意義や疑問」記録(2)

2012年9月24日 by 事務局

2012年7月29日に開催されました研究会「量的調査研究の意義や疑問」の中で交わされました議論について、そのいくつかをご紹介いたします。

[量的調査研究の進め方]
・量的調査をやっている人が増えている。インターネットの情報などを使えば自分でもできる。とっつきにくさはあるけれどそこまで難しくはない。

・量的調査は、試行錯誤で、自分でどうにかするしかないのか?どんな授業があれば、量的調査ができるのか?

・統計学の授業に出ても、統計ができるようになるわけではない。

・授業で習ったことと、自分が直面することは違う。分析の前の段階の問題がある。

・量的調査は覚えることが多い。でも、やってみないと分からない。プロジェクトなどに参加して、実際にやっているのを見て習うしかない。他人に聞かないと分からないことがある。

[量的研究と現場]
・量的調査、当たり前の答え出る。フィードバックしにくい。先行研究で言われていることを確かめる側面が大きい。

・誰のための研究か、研究と現場の折り合いの付け方。どのように考えたらいいのか。

・福祉研究は記述研究では終わらない現場で役立つことが求められる。

・実態が同じでも、答える人によって回答が変わることについて量的研究はいかに考えるのか?

・数値化して見ることと現場の関係は?