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「調査という表現」コメント(5)

2010年6月14日 月曜日

研究会「調査という表現」にご出席くださった方々からさまざまなコメントを頂戴しました。

そのいくつかをこのブログで紹介しています。第5回目は有末賢さんから寄せられたコメントです。以下引用します。

非常に有意義な研究会だったと思う。『調査という表現−−質的調査を伝える戦略』の出版も期待しています。
もし可能ならば、表現論として、声、視覚、映像、対話、録音などの表現や表象文化についても言及されるとおもしろいと思いました。

——NPOサーベイに期待する企画はありますか?

社会調査のニーズと代行、報告書作成など一連の行為について考察する企画も考えてみて下さい。丸投げ政策の実態などを批判するものが必要だと思います。

どうもありがとうございました。なお研究会での報告レジュメはこの記事(小倉)この記事(松尾)でご覧になれます。

「調査という表現」コメント(2)

2010年5月24日 月曜日

研究会「調査という表現」にご出席くださった方々からさまざまなコメントを頂戴しました。

そのいくつかをこのブログで紹介しています。第2回目は岩舘豊さんから寄せられたコメントです。以下引用します。

ふたつの報告とも、自分の問題意識や直面している課題と結びついていて、興味深く聞きました。「発信」「表現」は、最終的に調査する個々人が引き受け、あれこれ格闘しながら取り組むしかないと思うのですが、そのための論点がたくさん提起されたと受け止めました。議論する時間が少なかったのが少し残念でした。

——NPOサーベイに期待する企画はありますか?

映像と(の)社会調査、量的調査を学びたい。系譜やその可能性について。

どうもありがとうございました。なお研究会での報告レジュメはこの記事(小倉)この記事(松尾)でご覧になれます。

勝手に撮るな !?

2010年2月25日 木曜日

これまで数回にわたって、ドキュメンタリー写真ないしフォト・ジャーナリズムが社会調査と交差するところについて書いてきました。今回はそれを受けて、少し脱線しすぎな気もしますが、写真家ウォーカー・エヴァンズ(Walker Evans 1903-1975)について話してみようと思います。

エヴァンズはドキュメンタリー写真の巨人といってもいいでしょう。とくにアメリカ連邦政府のニューディール政策の一環として行われたFSAプロジェクトの一員として、アメリカ南部の農村や町を撮影した一連の作品はよく知られています。(FSAプロジェクトについては、いつか改めて話題にしたいと思います)

今日は多岐にわたる彼の作品のなかでも、異色作ともいえる一冊を取り上げたいと思います。Many Are Called (1966) と題した写真集です。現在でも美しくリプリントされた版(Yale University Press, 2004)が流通しています。

この写真集は1966年に出版されていますが、撮影されたのは1930年代末から1940年代初頭です。なぜ出版までに時間がかかったのか? いろいろな理由があったようですが、その答えのひとつは収録された写真の「撮られ方」にあるような気がします。


これらの写真は地下鉄の車内で隠し撮られたものなのです。エヴァンズはコンパクトカメラをコートの中に隠し持ち撮影しています。場所はニューヨーク。彼は大都市の地下鉄に乗り合わせる多種多様な人々の無防備な表情を捉えていきました。

彼の試みは極めて質の高い作品として結晶したといえるでしょう。ちょうど同じ頃に大都市の匿名性や都市的生活様式などを論じたシカゴ学派の都市社会学者たちの念頭には、こうした人たちの姿があったのかなあと感じます。


プライバシーの保護はドキュメンタリー写真にも社会調査にも不可欠なのは言うまでもないことです。しかしエヴァンズのこれら写真は、隠し撮りという方法を必要とするものでした。

隠し撮り(あるいは covert research)をすること自体いけないのか、発表することがいけないのか。撮影後に承諾を得ておけばOKだったのか。50年なり100年なりの時が経てば発表していいのか。モザイクは? エトセトラ、エトセトラ。簡単には答えが出ない悩ましい問題です。

社会調査の系譜とNPOサーベイ(4)

2010年1月23日 土曜日

(前回よりつづき)

matsuoルイス・ハインの話題をつづけます。前回はハインがカメラを手にして「ソシオロジカル・フォトグラファー」と呼ばれるようになり、児童労働の調査に乗り出したところまでお話ししました。

ハインはフィールドワークを重ね、数多くの働く子どもたちの写真を撮影することに成功しました。これらの写真の多くには一見してわかる特徴があります。被写体である子どもたちのまなざしです。鋭く、真っすぐに、わたしたちを見つめています。

Manuel

nn

子どもたちは撮影されることに緊張していたのでしょうか。見知らぬ撮影者を前に身構えていたのでしょうか。それともハインによる演出でしょうか。興味はつきません。

ハインの活動は写真を撮るだけでは終わりませんでした。これらの衝撃的な写真を携えて、世間に児童労働禁止を訴えていきます。

Making-Human-Junk表現の工夫もしています。写真をただ見せるのだけでなく、それらを有機的に並べ、キャプションをつけることで、訴求力を高める工夫をしました。フォトストーリー法と呼ばれたドキュメンタリー写真の伝統的な方法ですが、それを考案したのはハインだとされています。

こうしたハインの活動は社会学の世界とも交錯しました。以前このブログでとりあげたポール・ケロッグとも深い関係があり、ピッツバーグ調査に参加しています。ピッツバーグでも人々の労働と生活の諸相をカメラに収めました。

ハインはアカデミズムの外側にいる人でした。しかし見方を変えれば、社会調査の本筋を歩んだ人でもありました。

「学問のための学問」という意味でのアカデミックな活動には一切関わることはありませんでしたが、自分の関心を追究すべくフィールドに出て、そこで得たものを世間に向けて表現し、訴えていったのです。少なくとも私にとっては、尊敬すべき社会調査の先人であり、憧れのアイドルの一人なのです。

社会調査の系譜とNPOサーベイ(3)

2009年12月14日 月曜日

(前回よりつづき)

matsuo前回とりあげたポール・ケロッグの周辺で活躍した写真家、ルイス・ハイン(Lewis W. Hine 1874-1940)について話したいと思います。ハインはただの写真家ではありません。限りなく社会調査といってよい領域にまで踏み込んだ興味深い写真家です。

Hine_c1900ハインはアメリカのウィスコンシンに生まれました。初めから写真家になろうと志していたわけではありません。シカゴ大学やコロンビア大学では社会学や教育学を学んでいます。

写真に関わりはじめるきっかけは教育実践の中ででした。社会科の教材づくりの手段として、世紀転換期のニューメディアであるカメラ、写真に興味を持ったのです。

このような動機でカメラを手にしたわけですから、彼の撮影対象はもっぱら人と社会でした。

たとえば初期の作品にエリス島の移民を撮影したものがあります。当時は東欧からの移民が社会問題となっていました。アメリカの土を初めて踏んで入国審査にいどむ人たちの不安な眼……。彼は早撮りは好まず、大判カメラを丁寧に使って人の表情を精細に描写していきました。

Ellis_Islandハインはただ写真を撮るだけではありませんでした。写真を用いて積極的に社会的な発言をしていきます。自分の撮った作品を携えて講演活動をしたり、写真をコラージュしてポスターを作り世論に訴えたりします。

自然と彼は「ソシオロジカル・フォトグラファー」と呼ばれるようになりました。ときには「社会学者」とさえ呼ばれることもありました。

1907年にはアメリカ連邦政府の機関である児童労働委員会の依頼を受け、児童労働の現場の調査・撮影を始めます。児童労働の悲惨な現状を調査と写真をもって明らかにすることがハインの役割でした。

ハインはアメリカ中を旅して、児童労働の現場を見て回ります。とうぜん調査先の工場などでは歓迎されるはずもありません。時には探偵のような手段も使いつつ、フィールドワークを重ねていきました。

(つづく)