‘他者理解と自己理解’ タグのついている投稿

「調査実習という経験」コメント(5)

2011年1月3日 月曜日

2010年12月4日に開催いたしました「調査実習という経験」にご出席くださった方々からさまざまなコメントを頂戴しました。そのいくつかを紹介しています。第5回目は柴山由佳里さんから寄せられたコメントです。

(調査は研究のためだけのもの?という問題について)

実習生さんたちの話を聞くと、「他者理解を通しての自己理解」の可能性は少なからずあるのかなあ、と重いました。が、忙しい大学生が面倒くさいことをやる動機としては、「自己理解」よりも、ゼミ形式というのが大きいのではないでしょうか。だから、研究者の調査の結果には、「自己理解」のような見返り(?)は少ないのかなと思います。

(今回のイベントに参加して)

研究やら報告やらというのは、「客観性なしには成立しない」という頭しか私にはなかったので、今回のお話しは新鮮でした。今でも、客観性が重要だという考えに変わりはありませんが、「自分にもインタビュー相手にも背景がある」ことを理解するには、とても楽しそうな授業だと思います。石川先生は何でも受け入れて下さりそうで、ぜひ授業を受けてみたかったです!

どうもありがとうございました。当日の模様については当ブログ12月9日付記事の印象記などもご参照ください。

「調査実習という経験」コメント(3)

2010年12月23日 木曜日

2010年12月4日に開催いたしました「調査実習という経験」にご出席くださった方々からさまざまなコメントを頂戴しました。そのいくつかを紹介しています。第3回目は工藤将充さんから寄せられたコメントです。

(調査は研究のためだけのもの?という問題について)

「研究だけ」ということはないと思います。というよりも、研究のためだけに留めておくのはもったいないと言う方が正しいと思います。

確かに、研究の手段として、結果を出すために調査は使われます。しかし、学術的な分野以外でも使っていった方が良い結果が生まれると思います。

そうすることで「思いもよらない」発見があったり、もっと気軽に調査が広まれば、世間の調査に対する理解も深まると思います。

(今回のイベントに参加して)

貴重な時間をありがとうございました。こういったフォーラムに参加させていただくことで、より自分の中身が広まったと思います。また一つ自己・他者の認識が深まりました。

どうもありがとうございました。当日の模様については当ブログ12月9日付記事の印象記などもご参照ください。