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「盲ろう者へのインタビュー調査に挑む」印象記

2011年8月5日 金曜日

去る7月23日に開催された研究会「盲ろう者へのインタビュー調査に挑む――通訳介助者から調査者へ」の様子をお伝えしていきます。まず第1回目は当日の様子をまとめてみたいと思います。

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松谷直美さんの話題提供は「調査対象者のリアリティを損なわない分析方法について考える――アッシャー症候群の盲ろう者の就労に関する研究」と題したものでした。

もともとは通訳・介助者として盲ろう者と関わっていた松谷さんですが、現在では大学院に入学し、盲ろう者の就労をテーマにした研究に取り組まれています。その経緯からはじまり、盲ろう者とのインタビュー調査の進め方やその問題、支援者であり調査者であることの難しさと可能性などについて話してくださいました。

盲ろう者へのインタビューにはさまざまな難しい点があります。手話や触手話、指点字、拡大文字、筆談など、いろいろなコミュニケーション手段を用いなければなりません。また、抽象的な語彙では充分に理解しあえない場合があり、具体的な事例を示して確かめ合いながら説明する必要もでてくるとのことです。

そのためどうしてもインタビューは長時間に及ぶことになります。1回のインタビューに休憩をはさみながら5時間も費やすそうです。

言葉の問題はとても重要です。そもそも手話と言葉とは完全に重なり合うものではありません。やはり一般的に言って、手話は語彙や表現力が限られているそうです。したがって、手話で表現されたことをそのまま読み取って言語化するのは、果たして適切なやり方なのだろうか、という悩みが生じてくるのです。話者が伝えようとしているリアリティは、限られた手話表現の枠の中におさまりきるものだったでしょうか。

松谷さんはインタビューを逐語録に起こすにあたって、手話、表情、態度、表現の強弱などを総合的に読み取って、それを逐語録の記述にも反映させるそうです。こうして言語化するのは簡単な作業ではありません。しかしそれでもやはり、分析の素材となる言語化された逐語録は、すでにリアリティを損っているのではないかという疑念は拭いきれません。逐語録の内容をすべて話者に確認してもらうことは、現実的には無理だという悩みもあります。

このような難しさを多分に抱えた調査ですが、それでも諦めることなく挑んでいけるのは、調査者である松谷さんが、それ以前に支援者であったからだといえるでしょう。

ふだんから密な関係を持ち信頼関係を確立している支援者でなければ、障害、病気の進行、就労の苦労といった、重たい話題にまで踏み込んでいくことは難しいように思います。そもそも慣れていない人では、コミュニケーションをとること自体が簡単とはいえないのです。通訳がいたとしても、通訳との相性によっては意思疎通がとりづらいこともあるそうです。

支援者が調査者になることには問題もあります。しかし松谷さんのお話しや、研究会に参加してくださった盲ろう者の方のお話しを伺っていると、現実的にいって、支援者でなければこのような調査は不可能に近いのではないかと感じました。

支援者が調査者になると、良くも悪くも共感的な態度で調査にいどむことになりがちです。松谷さん自身はそのデメリットにも言及されていました。しかしその共感は、松谷さんの調査研究の根本になっており、欠かすことのできないものであるような印象を受けました。強い共感を前提とし、共感に導かれて行われる調査。これも社会調査のひとつのあり方なのだと思います。

「調査実習という経験」印象記・その2

2010年12月13日 月曜日

(前回からのつづき)

去る12月4日に開催された「調査実習という経験」の様子をお伝えしています。ゲストの話題提供のあとは参加者みんなでの意見交流の時間となりました。今回は質疑応答のなかでも印象に残ったものをいくつかご紹介します。

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Q: 楽しいから厳しい実習も挫折せずにできたとのことだが、楽しいだけでできるほど簡単なものではなかったのではないか。モチベーションはどこにあったのか。

A: バイトやクラブ活動で忙しかったが、充実していたので両立できた。バイトなど働くことならば将来いくらでもできる、今しかできないこと(調査という経験)を優先しようと思うようになった。

Q: 具体的なテーマに絞るのではない「人生を聴く」ようなインタビューはどのような感じだったか。どこまで行けば「その人と出会う」「その人をわかる」ことができるのだろうか。

A: 初めは自分の仮説やテーマを追求するようなインタビューをしていたが、次第に対象者の方は人生を伝えたいと思っていることがわかってきた。人生を教えてくれた。テーマとは関係ないようなことでも、そこにその人の人生が表現されていることもある。

Q: 授業の課題としてインタビューしていたか、それとも一人の人間としてインタビューしていたか。それには変化はあったか。

A: 初めは課題という意識が強かったり、そのようなことを考える余裕はなかった。しかし次第に変化していき、一人の人間として聴き、トランスクリプトを読むようになった。合宿などを契機に実習メンバーでお互い刺激し合うことができるようになった。

Q: 調査実習を終えて、他の人にも聴いてみたいとか、もっと違うことも聴いてみたいと思うことはあるか。調査の経験を発展させていくことはできているか。

A: 忙しいので考える余裕はなかったり、日常生活で直接的に経験を活かすことはないかもしれない。それでも何らかの形で調査経験を活かすことはできているように思う。仕事の世界・実社会と調査は通じる面がある。たとえば人の見方、人との関わり方、意見の伝え方など。とことん人と関わる調査をしたことで自己理解が深まった。自分の生き方を見つめることにつながっている。

他にもいろいろなことが話題にのぼりました。どのような反省があるか、もう一度調査をするならどのようにしたいか、自分自身の発想を忘れないことの重要性、研究目的でない調査の自由や可能性、異なるスタイルの調査では対象者との関わり方も異なること……。4時間近い長い会となりましたが、議論は尽きることはありませんでした。

「調査実習という経験」印象記・その1

2010年12月9日 木曜日

去る12月4日に開催されたイベント「調査実習という経験」の様子をお伝えしていこうと思います。このブログで参加者のみなさんのコメントなどを連載していきます。週2回、月曜と木曜に更新する予定です。まずは私が当日の様子を振り返ってみることにします。

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話題提供をつとめて下さったゲストは青木海さん、工藤将充さん、黒野亜由美さん、前田雅俊さんの4名でした。いずれも石川良子さんが担当された調査実習の元メンバーの方々です。ふたりの大学4年生とふたりの卒業生という組み合わせでした。

座談会形式で4人それぞれの調査実習の経験を語っていただきました。彼ら彼女らが取り組んだ調査はいわゆる質的調査でした。「戦争」であるとか「本土のなかの沖縄」といったテーマにもとづいて、ライフストーリーを聴き取り、作品化を行ったのです。

石川実習は方針として「調査対象者その人としっかり出会う」「見聞きし感じたことを伝える」といったことを掲げていました。自然と「楽」とは決して言えない実習になったようです。トランスクリプトの徹底的な読み込み、メンバー同士での議論、再調査、報告書執筆と文章の磨き上げ作業……。

4人はそれぞれ紆余曲折、試行錯誤を重ねて、この実習を成し遂げました。何度も途中でドロップアウトしようと思ったという述懐もありましたが、彼ら彼女らは「神奈川県出身の沖縄人」「三線は『人生そのもの』」「『平和』と『子育て』の2つの活動の中で」「空回りのインタビュー――振り返って見えてきたもの」と題した報告書を書き上げました。

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青木さんは「相手と噛み合わずうまくインタビューができなかったけれど、話をしてもらえた経験は面白かった」と語ってくれました。というのも、自分が予め考えていたことでなく、相手の語ることから考えていくという経験は、自分の枠が壊されていくようで、それが楽しかったのだそうです。

工藤さんは「1回目のインタビューがうまくいかず焦った」りもしたけれど「途中でやめようと思ったことは全然なかった」「楽しかった」と語ってくれました。インタビューも実習メンバーとの議論も、学生生活の中で大きな比重を占める、充実したものだったと言います。

黒野さんは調査対象者の方に原稿を見て頂いた際に「これを読んだら私のことをわかってもらえるわね」と喜ばれるという経験をしました。対象者の期待や信頼に応えようとすることで、よりいっそう調査に力が入ったようです。実習メンバーの仲間たちとの同士的な関係を築けたことも大きかったとのことでした。

前田さんは3回のインタビューを重ねたものの、うまく聴くことができず、インタビュー自体は「失敗だった」と言います。しかしその後、トランスクリプトを深く読み込むうちに状況は一変しました。対象者のことを深く考えることで自分自身も見えるようになり、一気に惹きこまれていったのです。前田さん自身は「インタビューが終わった後、始まった」と表現してくれました。

(つづく)

「NPOサーベイ」像をたしかなものにしてくれた一周年記念イベント

2010年9月6日 月曜日

ささやかな足どりではありますが、みなさまのご支援・ご協力のおかげで、NPOサーベイが満一歳の誕生日を迎えました。最初はなにからなにまで暗中模索の状態でしたが、一年を経て、ようやくこのNPOのアイデンティティといいますか、固有の意義について、ぼくのなかで像が結ばれてきたように思います。

社会調査の制度・しくみが高度化し、窮屈で画一的な調査の道具化(ぼくは「社会調査のマクドナルド化」と言っているのですが…)が進行しているように感じる昨今、調査会社でも、シンクタンクでも、大学の形式的な調査プログラムでもない、むしろそこからこぼれ落ちるものの受け皿(コミュニケーションの場)をつくり、社会調査に関するさまざまな困難や障壁を乗り越えていくためのつながりの場としていくこと。そこから社会調査の面白さと奥深さを再発見していくこと。そのために、「社会調査をするひと」だけではなく「社会調査を受けるひと」「社会調査を学ぶひと」「社会調査で知りたいひと」をつなぎ、それぞれの立場からの経験をもちよって、失敗やためらい、迷いを相談し、検討しあえる場をつくっていくこと。それが、ぼくのなかで少しずつ結ばれてきたNPOサーベイ像です。

7月31日に開催した設立一周年記念イベント「社会調査懇談会――その悩みや思いを語る」も、そんな「場」づくりの一環として企画したものでした。

研究者はもちろん、現場の方、行政マン、実務家、学生、生活者と、当NPOならではの参加者が集い、「現場に役に立つ調査研究とはどういうものか」「そもそも役に立つとはどういうことなのか」「複雑な現場と、テーマや変数を絞らなければならない研究の作法と、私の思いとのあいだの葛藤を、どう解決していけばよいのか」「研究者からヒアリング調査を受けることが多々あるが、必ずといっていいほど自分が言ったことがちゃんと伝わっていないのはなぜか」「当事者ではない人間が当事者の体験をききとることとは、結局どういうことなのか」「目の前のひとに役立つ研究と、論文として成り立つ研究をいかに両立させていくか」「調査につきまとう政治性と調査知見をフィードバックすることの困難性」「調査することの迷惑」等々、それぞれの立場ならではの意見が率直に述べられ、自由闊達な議論がおこなわれました。

参加者の西倉さんも感想を寄せてくださったように、けっして論文化されないけれども、社会調査の根源にかかわってくるような、セルフヘルプ的なコミュニケーションがそこに展開されていたのではないかと思います。なにより、とつとつと正直に語られる参加者のみなさんの表情がよかった!

現実を共同構築していく時代の社会調査ということに思いを馳せるとき、もしかしたらこれは画期的な場になっているのではないか。ささやかなものかもしれないけれど、エキサイティングでチャレンジングな場が生成されているのではいか。そんな実感を抱きました。

その意味で、このイベントは、ぼくのなかで少しずつ結ばれてきていたNPOサーベイ像をたしかなものにしてくれる(そして、今日の社会調査をめぐる課題と可能性を鋭敏に直視させてくれる)、そんな貴重なひとときになりました。

そんな「場」をつくりだしてくださった参加者のみなさんに、厚く厚くお礼申しあげます。

社会調査懇談会コメント(3)

2010年8月19日 木曜日

社会調査懇談会「その悩みや思いを語る」にご出席くださった方々からさまざまなコメントを頂戴しました。

そのいくつかをこのブログで紹介しています。第3回目は石原晋吾さんから寄せられたコメントです。以下引用します。

参考資料として挙げられている3つの軸について。

通常テーマを設定するときに、調査者自らの経験がもとになっている。これは疑いようがない事実であるが、どの段階でそれを客観的に捉えることができるのだろうか。客観的にとらえる必要性はどれだけあるのだろうか。

どうもありがとうございました。当日配布された参考資料についてはこちらからダウンロードできます。当日の模様については当ブログ8月11日付記事の印象記もご参照ください。