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調査を語る(7) 一見無駄な調査を積み重ねる

2014年3月20日 木曜日

連載「NPOサーベイ、調査を語る」も第6回目になりました。木村豊の東京大空襲調査をめぐっての座談会の模様をお伝えしています。前回は〈そこに居合わせる〉というフィールド調査のひとつの原点のようなものについて話し合いました。それを受けて、今回は一応のまとめへと話は進んでいきます。

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一見無駄な調査を積み重ねる

(松尾)木村くんがこれまで話を聞かせてもらった人は何人ぐらい? 100人とか、それとももっとたくさん?

(木村)そうですね、ちゃんときいたのは。

(松尾)ちゃんとじゃないのも入れたら、もう数えきれない?

(木村)そうですね。

(松尾)じゃあ今までちゃんと聞いた100人ぐらいのインタビューは、録音をとって、全部整理してある?

(木村)1時間とか2時間かけてインタビューをしたものは、だいたいしてありますね。横網町公園で、ちょっといいですか、みたいに聞いたのは、テープ起こしはしていないものもたくさんありますけど。

(松尾)でも、2時間のインタビューを起こしたら何十ページにもなるでしょう。それが100人分もあったら、すごい分量になると思うんだけど、自分で消化できてる? あまりにも量が多いとテキストマイニングとかも考えてしまうんだけど。

(木村)それに何度もインタビューを繰り返している人もいて、一番多い人でたぶん30回以上インタビューして、録音データが百何時間あります。そういう人から、1回2時間聞いただけっていう人までいて、完全には把握できていないかもしれないんですけど、だいたいのイメージは……。

(松尾)その百何時間の人へのインタビューも、まだ継続中? まだまだ汲めども尽きぬ感じ?

(木村)そうですね、まだ新しいことがありますね。

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「結論は求めない」

(上村)現段階での自分の設定したテーマに対する結論みたいなのは、あるんですか。見えているというか。

(木村)研究全体に対する結論みたいなのは考えたことないですね。

(上村)例えば、博士論文の中では、ある程度の結論みたいなのを切り取って提示する必要は出てくるわけですよね。

(木村)そうですね。いくつかの論文を掛け合わせた中での結論は出しますが、まあ、前提的なものとして。

(松尾)でもそういうふうに、すぐ結論を求めることもなく、一見、無駄に見えるようなことを積み重ねるからこそ、あの人とその人がここですれ違ってたとか、そういう面的なものを描けるんだなってことも、すごく感じますね。現場主義の調査ってよく言うけども、やっぱり、いろんな現場主義のやり方もあって、なかでも木村君のはユニークというか、すごいなって思うところが色々あるなって。

(木村)無駄は多いですね。例えば、モニュメントの悉皆調査をやっていて、墨田区・江東区・江戸川区・台東区って4区の大空襲のモニュメントを全部調べて、関係者に聞き取りとかをやっているんです。全部で75のモニュメントがあるんですけど、その75個にも5,6回ずついっていて。正直社会学の調査なら1回行って碑文だけ読んで、論文にしちゃうだろうなと思ってるんですけど、この町会の関係者は、今どこどこに住んでいてとか、なんか、そういうのをできる範囲で調べていこうと、こう、やっていて。

(松尾)それは無駄だとは自分では思ってないからやってるんでしょう。

(木村)そうですね、でもきっとこれは無駄だと思われてるだろうなっていう感覚はあります。

(松尾)論文を作るってことだけが目的なら無駄かもしれないけれど、やっぱり調査はそれだけではないからね。だから、伝統的なかたちの論文にまとまらない調査の成果を認めるような風土というか、風潮があるといいよね。他人の評価を求めるのが目的じゃないかもしれないけど、調査者の関心に沿ったような評価基準があるといいと思うんだけども。

「戦災地蔵の調査で得た自信と飛躍」

(松尾)では、一見無駄に見える調査に何度も何度も行っているのは、何の役に立つというつもりでやってるんですか?

(木村)無駄の究極なところでいうと、戦災のお地蔵様がたくさんあって、東京大空襲で亡くなった方を供養するために作られたものですけど、行くたびにきれいなお花が飾ってあって、あの、水も添えてあって。町会に聞いても、誰かやってくれてるみたいだけど、だれだろうねっていうのがあって。これは調べてみようと思って、一週間朝から張って、本を持って行って、読みながら待ってたんです。恐らく朝だろうと思って、午前中いっぱいぐらいですけど、で、お花をお供えしている人を見つけ出すことができたんです。で、ちょっと話を聞かせて下さいって言ったんですけど、なんか親が空襲で死んで、特に理由はないけど、その親のためでもあるしっていうことで、インタビューとしては、10分ぐらいで終わっちゃって、それから、インタビューっていうインタビューはできないままなんですけど。10分間だけの資料で、大したインパクトのないものになったんだけど、それをやるためにこの3日、4日ぐらい無駄にしたのかって思ったんですけど、でもやってよかったなって気はして。

(松尾)うん、すごくうれしそうに自信満々に話してるから、本当によかったんだろうなっていうのが伝わってきます。

(木村)それはその、論文にすごい価値あるとか、それで凄い分析ができたとかっていうんじゃないですけど、それをやって、その戦災のお地蔵様を見る上で、自分の、研究の、こう、研究者としての飛躍をするような、自信をもって書けるみたいな……。これについてはもう、自信を持って書けるっていう。それはデータの正当性とか、これだけあれば十分だとか、そういう次元の話じゃなくて、これは書いていいんだっていう風になったっていうことなんです。

(松尾)それは本当にいい話だね。やっぱり、そういう調査者として、研究者としての自分の体験っていうのは大事だよね。何を感じたのかとか、覚悟とか。

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4人の会話はまだまだ続いたのですが、連載記事としてはここで一区切りとしたいと思います。いかがでしたか。座談会というよりも放談のようになりましたが、サーベイのスタッフたちの社会調査観の一面をご披露できたかなと思います。

連載はもう少し続きます。次回もご期待ください。

調査を語る(6) そこに居合わせること

2014年3月17日 月曜日

連載「NPOサーベイ、調査を語る」の第6回です。東京大空襲調査をめぐる座談会が続いています。前回は〈容易に語られ得ない、沈殿していくような社会〉とでも言うべき〈何か〉を、いかにして調査するのかが話題になりました。今回はその続きです。そこに居合わせることの意味とは?

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そこに居合わせること

(岩舘)毎年慰霊堂に行くって話だけれども、後から聞くのと、その場に居合わせて聞くのでは違うっていうのはすごく分かる。あとからこういうことがあったんですよって、事実レベルで同じことを聴いていることなんだけども、その場に自分も居合わせて、時間と場所を共有しながら、ここにいるんだよねっていうのを聞くっていうのは、質的に違う。居合わせるっていう感覚っていうのは、すごく分かります。

(松尾)それは岩舘さんが映像を撮っているから感じられること?

(岩舘)そうですね、そういう意味合いもあります。後から詳細に詳しく事実を聞き取るのに比べれば、そこで取ったフィールドノートっていのは、事実としては不十分かもしれないですけど、その場に居合わせてしまうと、そこで巻き込まれてるわけだから、ぐじゃぐじゃなんだけども、大事なものをつかんでたりするんですよね。それって、居合わせないといけなくて。

(松尾)居合わせることで伝えていくっていうのは、基本的にジャーナリストが本領発揮するところじゃない? あまり区別しなくていいかもしれないけども、あえて区別するなら、ともかく居合わせるっていう考え方と、いわゆる研究をするっていう考え方みたいなものがあって、それがどういうふうな割合で組み合わさっているのか興味があるんだけど。木村君はそういうことについて何か意識したことありますか?

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(木村)やっぱり、けっこうメディアの人と一緒になるので、自分とどういう距離があるのかっていうのは考えるんですけど、最初のころは、すごい敵対していたような感じがありました。メディアの人はちょっと話をしていても、自分の方が詳しんだっていうような雰囲気がすごくあって。何も分かってないのに研究とか言いやがってみたいな感じがして。その頃はなんだって思ってたんですけど、年数重ねると、当然こちらの方が詳しくなって。なんか、がんばってるなっていうか。メディアとは距離をとるっていうよりも、近いものとし見るようになったって感じがします。

(松尾)岩舘さんは?

(岩舘)あんまり分けてるとか、差別化をはかろうとかって、自分の中では思ってないですね。ただ、自分が調査している労働運動の現場でも、結構一時期話題になったのでメディアの人が来るようになったんですけど、やっぱり、基本的に短いですよね。記者としても短い、いる時間も短い。で、あらかじめ撮るもの定めてきてて、撮って帰るっていう。
確かに居合わせているし、いるんだけど、それはその場に行くのが情報を取るのに一番早いから来ているって感じで、その場にいて、そこで撮ってる、産地直送で生で情報送るっていう発想の方が強い。なので、そこに行って何かを、その居合わせたものを大事にするって感じではない気がしたんですよ。そこに行くのが一番情報収集として早いからだって。そこに一番たくさんいい情報があるっていう、そこの点では共通するんだけど、それをもとに、じゃあ,別の見方なり、複数の見方が実はあるんだって、発想はあんまりない気がして。
いいフィールド調査は、むしろそれが崩れていくときじゃないですか。フィールドに入って崩れていくときに、やっぱりいい調査ができてくると思うので、特に大きなジャーナリズムは、短時間で取材を終えて次の現場に行かなくちゃいけない。スケジュールが組まれてるから、それで行って、ストーリー崩れましたって、たぶん言えない、そこは時間考えてる、データ処理の速度が尺が違うんだろうなって。

(松尾)同じところに居合わせていても、見えるものが同じとも限らないしね。そういう意味で、居合わせるっていうのを木村君も大事にしてるんだろうけども、いれば見られる、分かる、感じるっていうのは、必ずしもイコールではないでしょう?

(木村)居合わせたからと言っても、自分が見ているものをすごい知ったようなつもりになっているけれども、自分が見たものは、ごく一部でしかないってことは当然すごくありうることだとは思います。でも私の場合でいうと、恐らく来年も来るだろうという想定があるので、今年は、ここが見れればいいっていう方が強くて、そもそも、一年や二年じゃあ、あの、論文になるとは思ってはいないですし。

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議論はだいぶ佳境にさしかかってきました。次回はとりあえずのまとめになります。(つづく)

調査を語る(5) 沈殿しているものをすくいとる

2014年3月13日 木曜日

連載「NPOサーベイ、調査を語る」の第5回目をお届けします。東京大空襲の調査について木村豊らサーベイのスタッフたちで語り合っています。前回は「現場」で話しをきく、という手法について考えましたが、今回はそれをさらに展開させていきます。なぜ「現場」にこだわるのか? そこには「現場」に沈殿している何ものかをすくいとりたい、という願いがあるのです。

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沈殿しているものをすくいとる

(上村)木村さんのリサーチクエッションっていうのは、どういう内容でどういう風に設定をされてますか。いろいろ変わったりするんでしょうけど。

(木村)調査ごとに違いますよね。何に調査に行くのかによっても違いますし、そのとき考えてることによっても。

(上村)慰霊堂の前で調査をするときは?

(木村)あそこで聞き込みをするときは、本当に、スタンダードな聞き込みで、えっと、どこから来たのか,何歳ぐらいで、亡くなった人との関係は何かで、後は、毎年来ているのかとか、今年来てどう思ったのかとか、すごい単純なことを聞いて。

(上村)それだけですか。

(木村)あそこでは何時間もできないので、10分20分とすると……。

(上村)例えば、今のご心境は、みたいなことは聞いたりしないんですか。

(木村)もともと設定している質問としてはさっき挙げたぐらいですね、何のためにここに来るんですかとか。

「沈殿しているものを感じたい」

(松尾)現場にいるっていうか、調査者がデータ収集に行ってどんな経験をしているかに興味があって聞きたいんだけど、その聞き込みの場で観察したり感じたこととかを、研究にどう生かしているかとか、教えてくれますか?

(木村)私が横網町公園のあの慰霊堂に調査をする一番の目的は、遺族会にも入っていない、自分で体験記も書いていない、家族にも話していない人が、毎年3月10日だけあそこに行って、空襲で亡くなった父親だったり母親だったりに対して、ただお参りをするってこと、戦後何の補償もなく大変な思いをしてきたのを、毎年のお参りだけで、こう、とどめておくっていうことを、なんか、そういうのを積み重ねていくと……。
最近の社会学だとインタビュー調査が流行っていて、語られることとか、すごく表に出るようなことが、社会なんだってされているような感じがするんですけど、でも私は、人の中に、こう、とどまっているっていうか、沈殿していくような社会みたいのがすごく感じて。横網町公園に行って、それが自分の中にも、他の調査とは違うものとして入ってきた、蓄積されてきたっていう感じです。

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(松尾)その沈殿しているものを調査して捉える手法としては、木村君はどういう風な工夫をしてそれをくみ上げようとしてるんでしょう?

(木村)どこまでできるかっていうのは分からないんですけど、慰霊堂に来た人の話なんかは、こんなこと家族にも話したことないんですとか、今日も、ちょっと買い物に行くって言って出てきましたとか、そういう、それぞれの日常の中に、こう、慰霊堂にお参りすることがすべり込ませているような感覚っていうのを、調査の中で抽出しているっていうのが……。

(松尾)そういう沈殿しているものを引き出すっていうのでは、岩舘さんは、映像という全然違うやり方だけど、意識してるんじゃないですか?

(岩舘)言葉にならないことへの着目っていうのでは、そうかもしれないですね。映像のいいところは、やっぱり、しゃべってる人の横で、誰がどういうふうな表情でその人を聞いてるかとかも記録として残るっていうことですね。トランスクリプトに起こしちゃうと残らないんですけど、言葉にしてくれないことでも何かヒントになったりするんです。

(松尾)今日あった出来事でいったら、江戸東京博物館の裏にあった言問橋の欄干を見て、ここの影がとか、そこの傷がとか、そういうものを見ることで沈殿しているものをすごく感じたなって。やっぱり、そうやって何かを引き出せるものっていうのはとても大事。

(松尾)こうして今まで話してきて、沈殿している物を引き出すこととか、現場に居合わせることというのが、キーワードになっているような感じがします。

「現場に居合わせる調査」

(岩舘)居合わせるっていうのはすごい大事なキーワードだなって、でも、木村さんが途中でいってくれたように、居合わせたからと言って、何か、分かった気になっちゃいけない、変な現場中心主義になっちゃうからいけない。だから、居合わせることによって、分かるもの分からないもの、見えるもの見えないものみたいなものの理解は必要だと思いますけど、その場に居合わせることで、体の動きだとか身体とか、その場の音とか匂いとか雰囲気とかも共有したうえで、あるものを聴くっていうのは、大事なんだなって思うんですよ。

(松尾)そこにいればすべてが見えるわけじゃないっていうのは、本当にその通りだと思います。あと、居合わせることの意味はもうひとつあると思うんです。というのは、直感というか、そこにある小さな一部分から全体を想像することができる。もちろんそれは間違っていることもいっぱいあるでしょう。たとえば慰霊碑に行ったとして、偶然その日はいつもと違って掃除されていなかったとか、いろいろなことがあるはずです。でも、何度も何度もそこに行くことで、そこで見て自分で作ったイメージが、崩されたり、作り変えられたり。そういう意図をもって同じことを繰り返していくことも必要だと思います。

(木村)そうですね、最初はもう全然、体験っていうのはばらばらな感じ、それこそ範囲が広いので、ばらばらな感じがしてたんですけど、増えていくと、恐らくこの人とこの人は、3月10日の何時ごろにここで同じところにいたんじゃなかとか、すれ違ってたんじゃないかとかいうのがあって、話してみると、本当にすれ違ってたかもしれないねっていうのが、あったりして。どんどん、違う、全体像とは違うんですけど、見え方が変わってくるんです。

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つづく。

調査を語る(4) 現場で話を聞く

2014年3月10日 月曜日

連載「NPOサーベイ、調査を語る」の第4回目です。前回からサーベイの木村豊が行っている東京大空襲調査について語り合う座談会の様子をお届けしています。今回はその続きです。まず話題になったのは木村のユニークなインタビュー調査の手法です。調査の方法は単なるテクニックの問題にはとどまりません。そのさまざまな意味について掘り下げていきます。

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調査の手法——現場で話しを聞く

(松尾)今日はみんなで一緒に歩きながら木村君の調査のやり方の一端を見せたもらったんだけど、みなさんはどんなことを感じたか聞かせてくださいませんか。

(岩舘)木村さんが慰霊堂のところで、年に2回、その場で話を聞かせてもらっているんだっていうのは、現場に行って聞くと、すごく具体的にイメージができて、ああなるほどって思いましたね。確かにそこに来てるわけだから、話を聞かせて下さいっていうのも、そういう人たちだって、ある種の文脈付けもできてるわけだから。初めて現場を見て、ああそういうやり方があるんだって、いいなって思いました。

(松尾)現場での文脈付けっていうのは同感です。でもやっぱり、突然声をかけるのって、やる方も大変だろうし、やられる方も大変だろうしっていうので、ふつうはやらないものだから、あえてそれをやってるっていうのは、とてもユニークだけども、ユニークなだけじゃなくって、必然性があるんだろうなって思いました。こうしたやり方は自然に出てきたやり方なんですか?

「慰霊堂に集まる人に声をかける」

(木村)そうですね。最初はすごく緊張しますし、まあ実際怒られたり、いろいろと、もう、トラブルもあるんですけど。でも、実際あそこでしか、会とかに所属してなくて、自分で投書とかもしてない人には会えないから。毎年あそこに行くだけのだけの人もいるんで、やっぱり、そういう人たちの声を拾っていきたいっていうか、そういうのをつかまえたいっていうのがあって、やるようになったっていう。

(松尾)そういうやり方をすることについて、まわりの研究コミュニティの人たちの反応はどんな感じでした?

(木村)そうですね、最初は他の人に話しても、そんなことやるんだみたいな感じで、なんかしっくりこない感じだったんですけど。他に遺族会を通した聞き取りもやっていて、遺族会には1000人近く会員がいるので、そっちをやるるほうがずっと簡単なわけですし。でも実際に、聞き取ったデータを出していくと、やっぱり面白いんだねっていう反応が返ってくるようになってきたなっていうのはありますね。

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(上村)文脈っていうのは必要ですよね。私の社会福祉研究なんかの場合は、例えば職員としてかかわっていたりとか、サービス提供者としての悩みっていうのを持っていて、それで日常が進んでいくというか、その、障害者の人とのかかわりの中で、どうしていったらいいのかとか、とても日常的なことだけども、でも空襲なんて言うのは日常的なことじゃないですよね。

「資料の質が変わってくる」

(木村)遺族会のような組織を通じて聞くのよりも現場で聞くのがいいっていうのは、遺族会で紹介受けて、その人の家に行って、毎年3月10日は何をしてますかって聞いて、慰霊堂に行きますっていう話を聞くのと、慰霊堂に行って、そこに来た人に今日どうしてきたんですかって聞くのでは、全く同じ語りにはなるんだけど、全然こう、資料の質が変わるっていうのがあって。

(上村)社会福祉の調査でいえば、企業で働いている障害者をターゲットにしたときに、企業の場で話を聞くのと、家に帰ってから聞くのとでは、ちょっと違うかな、何か違うものが出てくるのかな。でも、企業の中に入りこんでいくっていうのは難しかったりするんですけど。
慰霊堂に集まる人たちにうまく入り込んでいくっていうのは、勇気もいるでしょうし、すごいいいアイデアなんだろうなって思うんですけど、ちょっと気になるのは、研究倫理とかはどうなのかなって。

(木村)その、調査の正当性みたいのが、倫理を含めてすごい議論されてきているように感じるんですが、でも、どうなんですかね。私の場合は、後付けができればいいんじゃないかなって思いますね。調べることよりも公開することの方に倫理問題が強くあるのであって、調べる段階からガードを固めちゃうと、かなり調査自体が自粛しちゃう感じがして、だから私は調べることについては、基本的にガードをかけないで、できることはできるだけやるっていうようにして。

(岩舘)さっきのデータの質が変ってくるっていうのは、どう変わってくるんですか。

(木村)やっぱり、その、空襲から60何年たって、結構なお齢で、皆さん70代80代なわけですけど、その人たちにとって、毎年あそこに行くって、今年もここに来れたっていうのがすごく、重要なことで。そこに自分も立ち会えたような、なんか、今年もここに来れたんですっていう感覚に、自分もそこに居合わせたっていうのが、なんか調査としてはすごい大きいかなって。

(松尾)で、相手の人達にとっても、毎回木村君がいるっていうのも、その慰霊祭のひとつの風景になっていたらいいよね。

(木村)それはありますね。まあ、当事者団体とかに行けばよく会うとかはあるんですけど。慰霊堂なんかでも、私は3月10日も9月1日も毎年、2006年からずっと来てますし、他の日でも定期的にあそこには来ているので、そうすると、3月10日にあそこら辺をふらふらしていると、声をかけられて、なんか久しぶりだね、みたいに言ってくれる人もいますね。

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(つづく)

調査を語る(3) 東京大空襲に出会う

2014年3月6日 木曜日

連載「NPOサーベイ、調査を語る」の第3回目です。この連載では木村豊による東京大空襲調査のフィールドを訪ねています。これまでの第1回第2回ではビデオ映像をお届けしましたが、今回からは趣向を変えて、座談会の模様をお伝えしたいと思います。

この座談会に参加したのはNPOサーベイのスタッフです。木村のほかに、上村勇夫、岩舘豊、松尾浩一郎のあわせて4人が集まりました。横網町公園の東京都慰霊堂などを歩いたあと、両国のとある喫茶店で4人の対話が行われました。木村の調査を題材としつつも、それぞれが社会調査についてさまざまな考えを述べ、意見を交換したのです。まず最初の話題になったのは調査を始めた動機、きっかけです。

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東京大空襲に出会う

(上村)木村さんはどうして東京大空襲に興味をもたれたんだろう。まずはその辺から改めて聞かせていただけたら……。

(木村)そうですね、どこにきっかけみたいのを見るかっていうのは難しくて。自分が学部3年の時に、戦後60年で、そのとき社会科の教員免許を取ったり、あとは博物館の学芸員の資格をとったりしていたので、教材研究だったり、展示実習だったり、そういうので、戦争の問題を取り上げていた中で、東京大空襲というものと出合ったっていうのが、きっかけといえばきっかけなんですけど。
まあ、出会ったっていうことは、すごく偶然に見つけたっていうのに過ぎないような感じがしていて。そこから、卒業論文、修士論文、そして今の博士論文まで、続けてきたっていうのは、今思い返してみても、なんで自分はこんなに続いたのかなっていうことがすごくあります。ただきっかけ自体は、すごく偶然に近いなって。それで、続けてきた、続けられるのは何でかなっていうふうに自分でも思いますね。

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(上村)学部生のときの教材研究などで取り上げたということだけど、さらにもっと知りたいって思うようになったのは?

(木村)そうですね、まあ、社会科の教員になるための授業を取っていくと、歴史とか地理とか政治経済とかある中で、全部に専門性は持てないので、どこかひとつをピックアップして、専門的に学んで、自分のオリジナルの授業とか教材を作るのをやるんです。それで私は、人があまりやりたがらないような単元っていうのを、やりたくて。でも、戦争やハンセン病の授業をつくって見たけれど、物足りないなって感じがして、もうちょっと続けてみようかなっていう感じがして。

(岩舘)戦争のことはもっと知りたいっていうのは話してて分かったんですけど、でもじゃあ東京大空襲で、かつ、その人たちに直接話を聞きに行こうっていうふうになったのは、どうしてだったんですか?

(木村)自分の中で大きかったのは、墨田区に「すみだ郷土文化資料館」っていうのがあって、空襲の体験画を収集している資料館なんですけど、そこで4年生の時に博物館実習っていうのを3週間やったんです。資料館の展示を作るという役割で関わらせてもらったんですけど、そこでいろいろ体験者の方とか紹介して貰ったり、実際に体験を書いた人の話を聞いたりしました。それはすごいインパクトがあって、やっぱり、社会科をやってたんで、空襲を受けてすごい被害を受けたっていうのは何となく知った気でいたんだけれども、空襲の絵を見たときに、なんか自分が知っていた空襲イメージみたいなものが、壊れるような感覚っていうのがあって。

(松尾)それはどういうイメージだったの?

(木村)イメージの中でも本当に大変だったんだろうなっていうのは、もともとあったし、体験記なんかも読んではいたんですけど、体験画の中で、その素人が描いた絵なので、うまくはないんですけど、なんかものすごい力強いタッチの絵が……。なんて言ったらいいのか分からないんですが、すごいショックを受けて。
展示っていうのは、研究と同じで、表現する一つの方法なんですけど、これを資料展示していいですよって言われて、自分に何ができるんだって、これ自分が勝手に並べちゃっていいのかって、すごい葛藤があって。それをなんか、苦しみながら、自分の展示を作りたいっていう。こう、デッサンをつくって出すんですけど、出した時に、やっぱり、もっと知らないとダメだなっていう風に感じちゃったっていうのはあります。東京大空襲をやろうっていう風になったなかでは、そこがすごい大きいです。

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(つづく)