(前回からのつづき)
拙著『高齢化社会と日本人の生き方——岐路に立つ現代中年のライフストーリー』の調査表現の試みについて、話をつづけます。
調査表現として拙著でこだわったことは、調査知見をワンショットの客観的事実として提示するのではなく、知見を得るにいたった一連の調査研究過程を〈経験の実践プロセス〉として描出していくことでした。つまり、どのようにしてその知見に到達したのかというプロセスそれ自体を、(「検証」よりも「生成」をめざす)「知」の重要な構成要素として提示したわけです。
拙著では、調査協力者である現代中年と調査研究者である私との対話実践のなかでライフストーリーが生成されていくプロセス、相互了解が得られていくプロセス、さらには縦断的(longitudinal)な3年~3年半ごしにわたる出会い(初回調査)と再会(再調査・再々調査)のなかで互いの解釈をすり合わせていくプロセスを赤裸々に描出しました。
それと同時に、その舞台裏として、調査研究者たる「私」という主体がいかにして立ち上がってきたかへの内省(問題意識の生成につながる調査研究者である私自身の生活史的経験のカミングアウト・ストーリー)を再帰的に織り込み、そういった調査研究者の経験(調査研究に臨む動機)と調査協力者の経験(調査に応じる動機)との相互作用場面(インタビュー途中で調査研究者である私が図らずも調査協力者にカミングアウトしてしまう場面や、調査協力者が調査研究者である私をどう受けとめ、どんな思いを抱いてインタビューに応じていったかを尋ねた場面など)を開示し、それらを吟味しながら、解釈や知見の生成プロセスの深層を探りました。
これらは、研究対象の経験と研究者自身の経験との出会いのプロセスをも含めた〈経験の実践プロセス〉としての調査過程それ自体を、ひとつの社会過程として位置づけて当該研究のフィールドとし、「作品」に刻み込んでいく試みでした。インタビュー(社会調査)それ自体が、拙著のキー概念でもある「人間生成」のプロセスそのものなのであり、そこに、調査協力者である現代中年の人びとと、調査研究者である私の再帰的な社会化(reflexive socialization)のプロセスが発現するわけです。
これら調査研究過程の描写をめぐるさまざまな仕掛けは、一種のパフォーマンスであるともいえ、四重めの生成のらせん(=《読者の経験との相互作用のなかでの生成》)のための、読者の経験への働きかけを企図したものでした。
拙著のライフストーリーの記述部分では、調査協力者のライフストーリーはもちろん、調査研究者である私自身の働きかけ、発話や問いかけの意図・動機、そして私自身が調査協力者の語りから感じたこと、それらも最大限露わにする記述の仕方をおこなっています。そのことによって、ききとった調査協力者のライフストーリーにばかりでなく、調査研究者・調査協力者のインタビュー場面での経験の仕方にまで読者の注意を喚起し、読者の追体験を促すという意図がそこに込められています。
そして、そこで喚起される 《調査研究者の経験》 《調査協力者の経験》 《調査研究者と調査協力者の相互作用経験》 《読者の経験》 のらせんによる新たな了解の生成こそが、拙著の メタ理論たる「生成的理論」の要諦である、という構成になっています。
いわば、それは「劇場」なのであり、拙著で上演される〈経験の実践プロセス〉に、共感であれ、反感であれ、観客としての読者がみずからの生を重ね合わせ、自身の経験と対話することで、新たな意味の生成がなされんことを企図したものでした。
(つづく)