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社会調査の系譜とNPOサーベイ(4)

2010年1月23日 土曜日

(前回よりつづき)

matsuoルイス・ハインの話題をつづけます。前回はハインがカメラを手にして「ソシオロジカル・フォトグラファー」と呼ばれるようになり、児童労働の調査に乗り出したところまでお話ししました。

ハインはフィールドワークを重ね、数多くの働く子どもたちの写真を撮影することに成功しました。これらの写真の多くには一見してわかる特徴があります。被写体である子どもたちのまなざしです。鋭く、真っすぐに、わたしたちを見つめています。

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子どもたちは撮影されることに緊張していたのでしょうか。見知らぬ撮影者を前に身構えていたのでしょうか。それともハインによる演出でしょうか。興味はつきません。

ハインの活動は写真を撮るだけでは終わりませんでした。これらの衝撃的な写真を携えて、世間に児童労働禁止を訴えていきます。

Making-Human-Junk表現の工夫もしています。写真をただ見せるのだけでなく、それらを有機的に並べ、キャプションをつけることで、訴求力を高める工夫をしました。フォトストーリー法と呼ばれたドキュメンタリー写真の伝統的な方法ですが、それを考案したのはハインだとされています。

こうしたハインの活動は社会学の世界とも交錯しました。以前このブログでとりあげたポール・ケロッグとも深い関係があり、ピッツバーグ調査に参加しています。ピッツバーグでも人々の労働と生活の諸相をカメラに収めました。

ハインはアカデミズムの外側にいる人でした。しかし見方を変えれば、社会調査の本筋を歩んだ人でもありました。

「学問のための学問」という意味でのアカデミックな活動には一切関わることはありませんでしたが、自分の関心を追究すべくフィールドに出て、そこで得たものを世間に向けて表現し、訴えていったのです。少なくとも私にとっては、尊敬すべき社会調査の先人であり、憧れのアイドルの一人なのです。

社会調査の系譜とNPOサーベイ(3)

2009年12月14日 月曜日

(前回よりつづき)

matsuo前回とりあげたポール・ケロッグの周辺で活躍した写真家、ルイス・ハイン(Lewis W. Hine 1874-1940)について話したいと思います。ハインはただの写真家ではありません。限りなく社会調査といってよい領域にまで踏み込んだ興味深い写真家です。

Hine_c1900ハインはアメリカのウィスコンシンに生まれました。初めから写真家になろうと志していたわけではありません。シカゴ大学やコロンビア大学では社会学や教育学を学んでいます。

写真に関わりはじめるきっかけは教育実践の中ででした。社会科の教材づくりの手段として、世紀転換期のニューメディアであるカメラ、写真に興味を持ったのです。

このような動機でカメラを手にしたわけですから、彼の撮影対象はもっぱら人と社会でした。

たとえば初期の作品にエリス島の移民を撮影したものがあります。当時は東欧からの移民が社会問題となっていました。アメリカの土を初めて踏んで入国審査にいどむ人たちの不安な眼……。彼は早撮りは好まず、大判カメラを丁寧に使って人の表情を精細に描写していきました。

Ellis_Islandハインはただ写真を撮るだけではありませんでした。写真を用いて積極的に社会的な発言をしていきます。自分の撮った作品を携えて講演活動をしたり、写真をコラージュしてポスターを作り世論に訴えたりします。

自然と彼は「ソシオロジカル・フォトグラファー」と呼ばれるようになりました。ときには「社会学者」とさえ呼ばれることもありました。

1907年にはアメリカ連邦政府の機関である児童労働委員会の依頼を受け、児童労働の現場の調査・撮影を始めます。児童労働の悲惨な現状を調査と写真をもって明らかにすることがハインの役割でした。

ハインはアメリカ中を旅して、児童労働の現場を見て回ります。とうぜん調査先の工場などでは歓迎されるはずもありません。時には探偵のような手段も使いつつ、フィールドワークを重ねていきました。

(つづく)

社会調査の系譜とNPOサーベイ(2)

2009年11月30日 月曜日

(前回よりつづき)

matsuo今回は私が共感する先行者のひとり、ポール・ケロッグについて書きたいと思います。前回紹介したように、20世紀前半のアメリカでジャーナリスト・社会事業家として活躍した人物です。

ケロッグはコロンビア大学を卒業後、雑誌 Charities の編集者となります。この雑誌は「慈善」という誌名からわかるように、社会事業や社会改良をテーマにしたものです。Charities and the Commons と改題され、さらに The Survey と誌名を改めていきました。

Charities_and_the_Commons_14The Survey はケロッグの活動の拠点となりました。編集、執筆、取材を通じて彼は積極的に社会問題にコミットしていきます。その活動はいわゆる「慈善」に止まりませんでした。

ケロッグは観察と報告、つまり「調査」の重要性に着目していました。雑誌のタイトルを The Survey に改めたのもその現れでしょう。彼の雑誌は調査報告の場として活用されるようになります。

調査者としての彼の活動のハイライトは、1907年から08年にかけて行われた「ピッツバーグ調査」であることは間違いありません。この調査は都市調査、産業調査の祖型として、アメリカ社会学史、社会調査史に大きな位置を占めています。

ピッツバーグ調査は広い視野を備えた画期的な総合調査でした。地理、政治経済、鉄鋼労働者、家族の生活、女性労働、移民、地域社会などが主な調査対象となりました。

ケロッグは学者ではありません。アカデミズムと距離がありました。しかしだからこそ、前例のない調査に漕ぎ出すことができたのかもしれません。彼はディレクターとして調査チームを先導していきました。調査につきものの資金の問題も、当時設立まもないラッセル・セイジ財団の後援を受けることで解決していきました。

Immigrant_Types

彼の編集者としての感覚は、ピッツバーグ調査の端々にあらわれています。報告書は膨大なものですが、写真、絵画、地図、図表が多用されており、親しみやすい雰囲気があります。印刷や製本も質が高く、凛とした美しさに満ちた作品に仕上がっています。手にとるものに何かを訴えかける力がみなぎっています。

ケロッグの調査は「調査のための調査」ではありません。観察と報告を旨とした彼の調査は、単に調べるだけでは完結しません。それを世に伝えることも不可欠な柱となっていました。そのための媒体が The Survey だったのです。

(つづく)

社会調査の系譜とNPOサーベイ(1)

2009年11月7日 土曜日

matsuoNPOを設立しようというアイディアが形になりはじめたのは、今から1年ほど前のことだったでしょうか。春休みや夏休みの時間を活かして慣れない役所通いをし、なんとか法人化にこぎ着けることができました。慌ただしいことや面倒なこともありますが、やはり新しいことに取り組む楽しさは大きいものです。

これから何回かにわたって、NPOサーベイ設立のこころざしのようなものについて書いて行こうと思います。メンバー4人それぞれの思いがあるでしょうが、私のばあい「先行者たちに学ぼう」という発想が根幹になっています。

社会調査史上にはすぐれた調査家が数多くいますが、とくに社会調査の世界がとてもスリリングだった20世紀前半には、独立した立場で自由な調査を繰り広げた調査家たちが目立ちます。彼ら彼女らのような立場で調査活動に関われたらなんと素晴らしいことでしょう。自分の足で立つための拠点とするためにもNPOをつくってみよう。そう考えたのです。

Paul_Kelloggこれから私が特に共感する先行者を何人か紹介して行くつもりですが、まず最初に挙げなければならないのはポール・ケロッグ(Paul U. Kellogg 1879-1958)でしょう。

ケロッグは米国ミシガン州生まれのジャーナリスト・社会事業家です。彼は雑誌『サーベイ』の編集者として、社会調査や社会改良運動に活躍しました。NPOサーベイの名前も、彼の拠点となった組織「サーベイ・アソシエイツ」から借りたものなのです。

(つづく)