連載「NPOサーベイ、調査を語る」の第3回目です。この連載では木村豊による東京大空襲調査のフィールドを訪ねています。これまでの第1回と第2回ではビデオ映像をお届けしましたが、今回からは趣向を変えて、座談会の模様をお伝えしたいと思います。
この座談会に参加したのはNPOサーベイのスタッフです。木村のほかに、上村勇夫、岩舘豊、松尾浩一郎のあわせて4人が集まりました。横網町公園の東京都慰霊堂などを歩いたあと、両国のとある喫茶店で4人の対話が行われました。木村の調査を題材としつつも、それぞれが社会調査についてさまざまな考えを述べ、意見を交換したのです。まず最初の話題になったのは調査を始めた動機、きっかけです。
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東京大空襲に出会う
(上村)木村さんはどうして東京大空襲に興味をもたれたんだろう。まずはその辺から改めて聞かせていただけたら……。
(木村)そうですね、どこにきっかけみたいのを見るかっていうのは難しくて。自分が学部3年の時に、戦後60年で、そのとき社会科の教員免許を取ったり、あとは博物館の学芸員の資格をとったりしていたので、教材研究だったり、展示実習だったり、そういうので、戦争の問題を取り上げていた中で、東京大空襲というものと出合ったっていうのが、きっかけといえばきっかけなんですけど。
まあ、出会ったっていうことは、すごく偶然に見つけたっていうのに過ぎないような感じがしていて。そこから、卒業論文、修士論文、そして今の博士論文まで、続けてきたっていうのは、今思い返してみても、なんで自分はこんなに続いたのかなっていうことがすごくあります。ただきっかけ自体は、すごく偶然に近いなって。それで、続けてきた、続けられるのは何でかなっていうふうに自分でも思いますね。
(上村)学部生のときの教材研究などで取り上げたということだけど、さらにもっと知りたいって思うようになったのは?
(木村)そうですね、まあ、社会科の教員になるための授業を取っていくと、歴史とか地理とか政治経済とかある中で、全部に専門性は持てないので、どこかひとつをピックアップして、専門的に学んで、自分のオリジナルの授業とか教材を作るのをやるんです。それで私は、人があまりやりたがらないような単元っていうのを、やりたくて。でも、戦争やハンセン病の授業をつくって見たけれど、物足りないなって感じがして、もうちょっと続けてみようかなっていう感じがして。
(岩舘)戦争のことはもっと知りたいっていうのは話してて分かったんですけど、でもじゃあ東京大空襲で、かつ、その人たちに直接話を聞きに行こうっていうふうになったのは、どうしてだったんですか?
(木村)自分の中で大きかったのは、墨田区に「すみだ郷土文化資料館」っていうのがあって、空襲の体験画を収集している資料館なんですけど、そこで4年生の時に博物館実習っていうのを3週間やったんです。資料館の展示を作るという役割で関わらせてもらったんですけど、そこでいろいろ体験者の方とか紹介して貰ったり、実際に体験を書いた人の話を聞いたりしました。それはすごいインパクトがあって、やっぱり、社会科をやってたんで、空襲を受けてすごい被害を受けたっていうのは何となく知った気でいたんだけれども、空襲の絵を見たときに、なんか自分が知っていた空襲イメージみたいなものが、壊れるような感覚っていうのがあって。
(松尾)それはどういうイメージだったの?
(木村)イメージの中でも本当に大変だったんだろうなっていうのは、もともとあったし、体験記なんかも読んではいたんですけど、体験画の中で、その素人が描いた絵なので、うまくはないんですけど、なんかものすごい力強いタッチの絵が……。なんて言ったらいいのか分からないんですが、すごいショックを受けて。
展示っていうのは、研究と同じで、表現する一つの方法なんですけど、これを資料展示していいですよって言われて、自分に何ができるんだって、これ自分が勝手に並べちゃっていいのかって、すごい葛藤があって。それをなんか、苦しみながら、自分の展示を作りたいっていう。こう、デッサンをつくって出すんですけど、出した時に、やっぱり、もっと知らないとダメだなっていう風に感じちゃったっていうのはあります。東京大空襲をやろうっていう風になったなかでは、そこがすごい大きいです。
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