調査を語る(7) 一見無駄な調査を積み重ねる

連載「NPOサーベイ、調査を語る」も第6回目になりました。木村豊の東京大空襲調査をめぐっての座談会の模様をお伝えしています。前回は〈そこに居合わせる〉というフィールド調査のひとつの原点のようなものについて話し合いました。それを受けて、今回は一応のまとめへと話は進んでいきます。

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一見無駄な調査を積み重ねる

(松尾)木村くんがこれまで話を聞かせてもらった人は何人ぐらい? 100人とか、それとももっとたくさん?

(木村)そうですね、ちゃんときいたのは。

(松尾)ちゃんとじゃないのも入れたら、もう数えきれない?

(木村)そうですね。

(松尾)じゃあ今までちゃんと聞いた100人ぐらいのインタビューは、録音をとって、全部整理してある?

(木村)1時間とか2時間かけてインタビューをしたものは、だいたいしてありますね。横網町公園で、ちょっといいですか、みたいに聞いたのは、テープ起こしはしていないものもたくさんありますけど。

(松尾)でも、2時間のインタビューを起こしたら何十ページにもなるでしょう。それが100人分もあったら、すごい分量になると思うんだけど、自分で消化できてる? あまりにも量が多いとテキストマイニングとかも考えてしまうんだけど。

(木村)それに何度もインタビューを繰り返している人もいて、一番多い人でたぶん30回以上インタビューして、録音データが百何時間あります。そういう人から、1回2時間聞いただけっていう人までいて、完全には把握できていないかもしれないんですけど、だいたいのイメージは……。

(松尾)その百何時間の人へのインタビューも、まだ継続中? まだまだ汲めども尽きぬ感じ?

(木村)そうですね、まだ新しいことがありますね。

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「結論は求めない」

(上村)現段階での自分の設定したテーマに対する結論みたいなのは、あるんですか。見えているというか。

(木村)研究全体に対する結論みたいなのは考えたことないですね。

(上村)例えば、博士論文の中では、ある程度の結論みたいなのを切り取って提示する必要は出てくるわけですよね。

(木村)そうですね。いくつかの論文を掛け合わせた中での結論は出しますが、まあ、前提的なものとして。

(松尾)でもそういうふうに、すぐ結論を求めることもなく、一見、無駄に見えるようなことを積み重ねるからこそ、あの人とその人がここですれ違ってたとか、そういう面的なものを描けるんだなってことも、すごく感じますね。現場主義の調査ってよく言うけども、やっぱり、いろんな現場主義のやり方もあって、なかでも木村君のはユニークというか、すごいなって思うところが色々あるなって。

(木村)無駄は多いですね。例えば、モニュメントの悉皆調査をやっていて、墨田区・江東区・江戸川区・台東区って4区の大空襲のモニュメントを全部調べて、関係者に聞き取りとかをやっているんです。全部で75のモニュメントがあるんですけど、その75個にも5,6回ずついっていて。正直社会学の調査なら1回行って碑文だけ読んで、論文にしちゃうだろうなと思ってるんですけど、この町会の関係者は、今どこどこに住んでいてとか、なんか、そういうのをできる範囲で調べていこうと、こう、やっていて。

(松尾)それは無駄だとは自分では思ってないからやってるんでしょう。

(木村)そうですね、でもきっとこれは無駄だと思われてるだろうなっていう感覚はあります。

(松尾)論文を作るってことだけが目的なら無駄かもしれないけれど、やっぱり調査はそれだけではないからね。だから、伝統的なかたちの論文にまとまらない調査の成果を認めるような風土というか、風潮があるといいよね。他人の評価を求めるのが目的じゃないかもしれないけど、調査者の関心に沿ったような評価基準があるといいと思うんだけども。

「戦災地蔵の調査で得た自信と飛躍」

(松尾)では、一見無駄に見える調査に何度も何度も行っているのは、何の役に立つというつもりでやってるんですか?

(木村)無駄の究極なところでいうと、戦災のお地蔵様がたくさんあって、東京大空襲で亡くなった方を供養するために作られたものですけど、行くたびにきれいなお花が飾ってあって、あの、水も添えてあって。町会に聞いても、誰かやってくれてるみたいだけど、だれだろうねっていうのがあって。これは調べてみようと思って、一週間朝から張って、本を持って行って、読みながら待ってたんです。恐らく朝だろうと思って、午前中いっぱいぐらいですけど、で、お花をお供えしている人を見つけ出すことができたんです。で、ちょっと話を聞かせて下さいって言ったんですけど、なんか親が空襲で死んで、特に理由はないけど、その親のためでもあるしっていうことで、インタビューとしては、10分ぐらいで終わっちゃって、それから、インタビューっていうインタビューはできないままなんですけど。10分間だけの資料で、大したインパクトのないものになったんだけど、それをやるためにこの3日、4日ぐらい無駄にしたのかって思ったんですけど、でもやってよかったなって気はして。

(松尾)うん、すごくうれしそうに自信満々に話してるから、本当によかったんだろうなっていうのが伝わってきます。

(木村)それはその、論文にすごい価値あるとか、それで凄い分析ができたとかっていうんじゃないですけど、それをやって、その戦災のお地蔵様を見る上で、自分の、研究の、こう、研究者としての飛躍をするような、自信をもって書けるみたいな……。これについてはもう、自信を持って書けるっていう。それはデータの正当性とか、これだけあれば十分だとか、そういう次元の話じゃなくて、これは書いていいんだっていう風になったっていうことなんです。

(松尾)それは本当にいい話だね。やっぱり、そういう調査者として、研究者としての自分の体験っていうのは大事だよね。何を感じたのかとか、覚悟とか。

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4人の会話はまだまだ続いたのですが、連載記事としてはここで一区切りとしたいと思います。いかがでしたか。座談会というよりも放談のようになりましたが、サーベイのスタッフたちの社会調査観の一面をご披露できたかなと思います。

連載はもう少し続きます。次回もご期待ください。

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